テロの連鎖が日本を襲った、平成でも特異な19人刺殺
障がい者19人を刺殺した『相模原障害者施設殺傷事件』は、日本のテロでした。
貧困化が起こした事件です。
しかし、貧困なんて日本のどこにあるのかと笑う人もいます。恵まれた家庭の話ですね。
マクロ経済では貧困化で社会全体が病みます。ひとつが、自暴自棄のテロ攻撃です。
日本にテロはない印象も
テロの連鎖の発端は2001年の事件でした。
大阪の池田小学校の教室を、ナイフ男が襲撃したあれです。もう18年になります。容疑者は「殺せるだけ殺そうと思った」「もっと殺せた」と言い残して、最後まで気丈だったとか。殺し足りなかった悔いを述べて。
「そんなゆがんだ気持ちは理解できないね」と言っても、素直に考えれば富の偏在が生み出したねたみに決まっています。
何で小学校を?
高偏差値の私立小学校へ行ける児童に対する敗北感で、相手を自分より下げるにはやるしかなかったと、歪んだなりの切実さです。本気でした。
あの頃は消費税増税で景気が急落したデフレ不況下で、賃下げとリストラがブームでした。そこで幅をきかせた勝ち組の強みは、ひとつは学歴でした。
個人の周囲にあんな悪人はいなくても、日本全体のマクロだと次々と現れます。事件後にインターネット接続パソコンも普及し、掲示板に「悪いことだとは自分もわかりますが、犯人の思いきった行動に勇気をもらいました」の告白が何人かに書かれました。
秋葉原は違うパターン?
多くが覚えている2008年の『秋葉原通り魔事件』は、トラックで人にぶつかる刃物男でした。特殊警棒を持つ警察官とチャンバラになった、舞台劇ふうの一瞬がありました。目撃した周囲の人が撮影しました。
報道の中には、デフレ不況の暗い空気で若い世代が気落ちし、ついに狂って社会報復した説明もあったかも知れません。でも社会が悪いと言えば無責任だから、社会不適応な個人の性格での解説が多かったようです。自己責任論みたいな。
9.11の首謀とされるオサマ・ビン・ラーディンみたいな人物はまだでも、記録的な殺人事件が目立ち始めました。ついに日本の犯罪史上第一位の死亡者数が、今年2019年(令和元年)の『京都アニメーション放火事件』でした。36人死亡。
過去の最多の事件は、81年前の1938年(昭和13年)の『津山事件』の30人です。徴兵失格で差別的扱いを受けた秀才の負け組が、後ろめたさの裏返しで爆発した事例でした。
ハンディキャップ撲滅テロは、現代日本に特有の事件
そして日本のデフレの縮図が、2016年の『相模原障害者施設殺傷事件』でした。19人を刺殺した容疑者の意図が時流に合いすぎて、事件に向き合えない人が続出しました。
簡単に言えば、日本にいらない人間を片づける義憤でした。国の役に立ちたいと行動した元反社系の男です。容疑者は同施設の元職員でした。
その日本にいらない人間とは、お金をかせげず、働けない人間です。納税しない人。
新聞やテレビではそんなこと言えないし
平成以降の日本で、お金儲けがうまいカリスマ論客が目立っています。
敗者が滅ぶグローバル社会の正当性を唱えています。自分はがんばって上へ行けたから、皆も後に続くべきだと。できない者は淘汰されろと。強い自信がカリスマ性です。教義をあおぐファンも多いようで。
彼らが唱える淘汰の公平性で育った子どもは、優生思想に傾きやすいと思えませんか。
優生思想って何?
優生思想とは適者生存の原理主義で、不要な人間を消せという理想追求です。政治プログラムが、ナチスによるユダヤ教信者のせん滅作戦でした。
ナチスが重視したのは、劣った属性を国から断つことでした。障がい者をなくし、優れた人が通る道をあけさせ、よりよい未来を子孫に残すユートピア指向でした。
「劣った人は優れた人の足を引っ張らないでね」は、日本のネットでも常とう句でした。発言者は、所得が多いほど税率が上がる累進課税を敵視し、望みは国民一人に一律の額を納税させる人頭税です。格差の極大化が望みです。
強い者が管理するカースト制度が、格差社会のゴールです。
そもそも格差拡大は、劣った者を切り捨てる優生思想を、具現化する政策ですよね。
「財源論」が人権侵害にお墨付きを与えた平成時代
世界の各国は、介護コストの増大をどう解決するのか。
財政を圧迫する時は、所得減で所得税が減ります。デフレ不況ですね。
解決は簡単で、貨幣プリンターで自国通貨を発行し、介護業界へ投入すれば収まります。ばらまきとも呼ばれる、市中の貨幣量アップ作戦です。
でも日本だけがやらせない?
日本人はお金の正体を勘違いしています。お金を限られた資源とみて「出費をゼロにしてお金を守り裕福になろう」と考える人が多い。無駄をなくせと小学生にも言わせて。
総量一定のお金を奪い合う思想が財源論です。税収を国家予算の財源とみなし、介護費を国民のサイフから捻出するのだと、てっきり誤解しています。
財源論は、介護や養護を切り捨てれば、税金が助かる思想です。その分を他へ回す計算で考えています。現代の財政は全く違うのです。
容疑者は財源論で思考してた?
容疑者は、国がお金をいくらでも発行できることを知らなかったのです。予算が増えても円を発行すれば事足りる、世界の統治法を知らなかった。
各国が打ち出の小づちを持つ、当たり前の国際的な制度を知らなかった。
使うお金が増えれば、一万円札が不足するのだと、完全に勘違いしていました。
そのデマが財源論?
容疑者は良心を発揮しました。
「そうだ、予算を食いつぶす者を口減らししよう」。
「不要な人をなくし国民の負担を軽くし、子孫へ回す借金のツケを縮小しよう」。
「お金をかせげない敗者は、勝者の足手まといだ」。
「誰かがやらないと、国民の負担が増えてお金が底をつく。明るい未来のために、収入を生める者に道をあけるよう、税金ドロボーに消えてもらおう」。
「僕が日本を救う」。
きれいに筋が通ってるし
「お金不足で破綻が近い日本で、勝ち組の負担になる負け組はあの世へ送ろう」。
「自分を犠牲にしてもやり遂げる。汚れ役でいい。死刑でもいい」。
「彼らは生きている価値がなく、見ているだけで不幸だ」が、容疑者の供述内容でした。
容疑者は総理大臣あての手紙を衆議院議長に渡すために、政府へ出向きました。建設的で行動力があるタイプです。
なぜそこまで他人を不幸と思う?
「国の借金」の平成のデマが、日本人の頭に叩き込まれたのです。共食いの殺し合いは、すでに始まっています。日本人は、自分より納税が低い者がじゃまなのです。
彼は国民の味方として行動しました。国民の敵を倒すために。
世間は彼の良心に向き合えず、精神障害にしたがるはず。しかし彼は、日本経済を救おうとした手柄を認めて欲しいはず。自分からは言い出せず、照れています。