相模原やまゆり園19人刺殺事件で、よく言われる心の闇
今日2020年3月16日が、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」19人刺殺事件の一審判決でした。2016年に起きたテロ事件で、負傷も含め46人です。
背景は日本の貧困化です。
事件に闇がありそう
闇は国民の側にあります。
普通なら、貧困者が富裕層を襲うはず。2001年の池田小学校に斬り込んだ犯人がそれ。しかし相模原は、何と勝ち組が加害者です。
何かがねじれてる?
事件の動機に優生思想がひそみます。あちこちで語られるとおり。
もうひとつ、国の借金1100兆円もひそみます。これは誰も語りませんね。
国の財政を健全化させようと、一肌脱いでくれた事件
優生思想は、生きる価値がある人と、ない人に選別します。
価値がない人は、淘汰されて当然だ、同情されず文句も言えない、の論法です。
立派な人は生きる権利が上。立派とは所得が高い意味で、要はカネ。
意外にみんな自覚がないとか
「自己責任さ」は他人を励ますのではなく、敗者を見放すお別れの言葉でよく言います。滅びなさいの念押し。自分を恨めの意味です。
この自己責任論は、財源論と合流しています。
出た、財源論
財源論とは、国民が払った税金を財源として、国の出費をまかなう特殊な思想です。特殊ですよ。間違っているから。税金は財源ではありません。
特殊であれ、日本人は正しいと信じていますね。
被告もそう信じています。
国民の疑問は、なぜ彼が弱者をそこまで憎むのかでした。
被告は国家の損失を憂慮したのです。私憤でなく正義感。だから総理大臣に意見書を渡すために、国会議長の元へ出向いたし。
確かにそれがあった
被告と国民は財源論で共通し、財源論のロジックが日本人の心の闇なのです。
「税金を納めない人が多いと、国のお金が足りず、借金で日本は破綻する」。
国の借金1100兆円ね
働かず税金を納めない人を、被告は減らそうとしました。
1100兆円を減らそうと。
人材の価値がない者を始末し、国費をコストカットして日本を上向かせようと。
義賊のつもり?
「障がい者の生活費をみんなで出してやるのも限度がある」の空気を読んで、現役世代を救おうと立ち上がりました。みんなの役に立ちたい。彼は国民から愛されたかった。
財政破綻を防ぎ、国の赤字を減らしてプライマリーバランスを黒字化したい。
「僕が財政を健全化させてやる」と一肌脱いで、26歳で必殺仕掛人となった。
19人を刺殺した被告と、日本国民が向き合えない理由
被告の本心は、自分が攻められるのは不満で、本音はこうかも。
「待って、皆さんは国のお荷物の障がい者を、ネットで訴えましたね」。
「働けない人間を食わせる負担に困っていましたね」。
「介護と養護で税金を使い切り、財政の危機だとマスコミも言いましたね」。
「政治家も国の赤字を減らそうと、支出削減に奔走しましたね」。
「子孫に1000兆円の借金を残し、一人800万円を皆で嘆きましたね」。
「経済評論家も、近く日本は借金で財政破綻すると断定しましたね」。
「それらを抜本解決しようと、僕はがんばりお荷物の軽減を行いました。なのに皆さんはてのひら返しで、僕を非難するのはなぜですか?」。
なぜなの?
「独立国には通貨発行権があるから、政府がお金不足で困りはしないよ」。
「将来返す借金なんて日本に最初からないし、子孫へのツケなんてあるわけない」。
「手がかかる仕事が発生すれば、そのつどお金を発行するのが現代だよ」。
「1000兆円を1500兆、2000兆と増やせば、日本経済は上向いて正常化するんだよ」。
「国の出費を削減すると、経済縮小して国全体が貧乏になるんだよ」。
「財政が破綻する危機は嘘、財政健全化の必要は嘘、全部嘘だったんだよ」。
「おまえさん一人、日本経済の嘘を真に受けて、だまされていたんだよ」。
「報道のあおりデマに、簡単に引っかかったバーカ」。
と、国民は言いたいところ。
でも言えない。
なぜ言えない?
被告と同じで、いまだに国民もだまされているから。
国民は被告を、180度逆から正面切って論破できません。両者の顔は向きが同じです。
報道も、裁判も、歯切れが悪かった
判決文の「被告は障がい者に差別意識を持ち」が切り口の報道では理解不能です。流血の惨事は障がい者の軽視でなく、重大視だから。胸や首を刺して惨殺しているし。
軽くあしらう意地悪とは違いすぎて、話がぐちゃぐちゃにからまります。
「わからない事件だった」と、皆が首をかしげるのがその表れです。
日本国民の間違った知識の部分に真の動機があるから、分析し損ねます。
モヤモヤは国民側にあるわけか?
国民のばくぜんとした本心がこれ。
「障がい者がいないと確かに税金が助かるが、さすがに殺害は犯罪だからだめ」。
ジレンマでとらえてる?
「障がい者は、いないに越したことはない」は、被告と一致します。
「障がい者が消えて欲しいのは、やまやまだ」は同じ思い。
障がい者が国の借金1100兆円を増やす害になっているとして、被告と国民に共通認識のきずなができています。
傍聴席の人々もそこは同じ、裁判官も同じ。マスコミも同じ。お金を守るきずな。
障がい者の味方となり被告を非難する善良な人も、「確かに障がい者は国民の負担だが、でも命は大切なんだ」の論法です。負担があるつもりなのです。
「お金より人命が貴重だし、少人数だから金銭負担を大目に見て」という方向。
はれ物に触るみたいに
「お金と人権はどっちが大事か」で説得する、この論法は間違いです。
お金の負担など、最初から存在しないから。
そこか?、そこが焦点か!
人権や道徳で障がい者を擁護しても、国民の心に響きません。
国民の隠れ反論はこう。
「世の中きれいごとだけでは、国の財政は破綻すると思います」。
「差別するつもりはないけど、財源を使うだけなら区別します」。
「建前はともかく、本音では誰もが障がい者はじゃまでしょう」。
実はじゃまではない!?
本当は障がい者が減ると経済が縮みます。あべこべ。
19人の生活費を政府が発行せずに済めば、その分GDPが小さくなり、経済は右肩下がりに落ち、皆の時給が下がるメカニズムです。国民の思いとはあべこべ。
色々あった方がいいわけ?
政府には通貨発行権があり、円の枯渇はあり得ない。足りなければ追加発行して使えば、景気が上がるだけのことです。他国は普通にやっています。
障がい者に手厚くお金を使えば使うほど、通貨を多く発行するから、日本の全国民がよりリッチになるのです。サイフが厚くなります。あべこべ。
内需が多いほど、経済大国になるのです。ジレンマなんてない。前提すら嘘。
だから土建立国の頃は、お金に困らなかったわけか?
国の経費を節減したとたん、転げ落ちるように貧困化しました。
国の出費は、自国通貨の円を追加発行して、お金の総量を増やす方式だからです。
・ 高齢者や障がい者のコストは、円を追加発行して支払い行使する
・ 追加発行された円は、若者や健常者の手にも渡り、経済成長となる
しかしこの原理を国民は知らず、税金で国の財政をまかなう財源論を固く信じています。「健常者の税金で、障がい者のコストを負担してやる」式の間違った思いです。
その大前提が、完全にあべこべ。
そういうことか
「殺せばまずいが、いなくなれば国のお金が助かる」と、国民は今も勘違いしています。コストカッター役の被告を完全否定できず、歯切れが悪いのです。
被告と国民は、財源論と日本財政破綻論を信じている同士です。
日本の借金1100兆円を、返すと勘違いした同士。
お金は使えば減ると誤解し、優生思想を抱く同士。
それが事件に残された心の闇か
「心の闇」は「税金を財源だと思っている勘違い」です。
現代の「管理通貨制度」と「信用貨幣」を、福祉業界の人が学ぶ時が来たのです。