コンクリートから人へ→貧困とテロとブラックの国に変えてご苦労さん

脱ダム宣言の結果

コンクリートから人へ、平成日本のデフレ貧困化の象徴

「コンクリートから人へ」というスローガンがありましたね。平成時代を象徴する標語でした。その動機に、二つの全く違う思想がありました。

「これからは、重厚長大から軽薄短小へと変えるべきだ」。

「これからは、政界の利権構造をなくすべきだ」。

わかりやすい話だが?

起点は、バブル最終期に起きたコンピューターの進歩です。つまりWindows 95でした。

パソコンの普及で、デジタル作業がスマートな職業として台頭しました。事務作業の電子化が華やかな中、キーボード操作がかっこよく見えて、体を動かす労働は馬鹿にされていきます。

日本に限れば、その頃にバブルがはじけ、並行して景気が悪化していました。節約や経費削減に人々の関心が向きます。お金を使い惜しむブームです。

公共事業の削減か

建物だけ立派で中身がおろそかな箱物行政や、ダムや堤防などの巨大工事が、経費削減でやり玉にあがったのです。

「コンクリートはコストがかさむし、税金の無駄づかい」。

「土建なんて、3Kでダサい」。

「古い日本を脱ぎ捨てて、新しい世界を築くんだ」。

「これからはデスクトップの時代だ」。

ハイテク時代、経済低迷時代に、職業差別も混じった、サービス業偏重ブームでした。

政官財の癒着や利権をなくそうとした、平成の世直し

もうひとつは、政治家とカネの問題、政治資金規正法がらみでした。

建設省から国土交通省を支持母体とした国会議員は昔から多く、族議員たちが仕切る土建政治の体制があります。国民はそこに反発しました。

工事費が庁舎で500億円、鉄道や道路や吊り橋だと兆の単位になる大きさが、国民にとって不快だったのです。金額の大きさが怒りの対象です。

また、政官財の癒着構造と、なくならない汚職事件です。建設工事業者を決める口利きに始まり、民間業者が議員に金品を渡して都合してもらう贈収賄ですね。

さらには談合体質。談合とは入札の八百長です。官製談合もありました。

土建がらみの事件が多かったし

建設総合請負業者、ゼネコンを国民は憎むようになっていきました。日本には五強というスーパーゼネコンがありますね。竹中工務店、大林組、大成建設、清水建設、鹿島建設。これらは世界的にみても、難工事が可能な強豪です。海底トンネルとか。

やつらへ仕事を与えないようにして、利権の構造を元から断てば、清潔な政治に変わり、日本はクリーンな国へと生まれ変わるのだと、国民は未来を夢みたわけです。

土建などという前近代的で野蛮な業種を、日本からなくそうとして。

土建国家を批判する評論家が、すんげーカッコよく見えて。

それが結局、日本は何でこんなに貧困化して、店がつぶれて自殺者続出なのー。

オレオレ詐欺やクレーム詐欺は流行し続けて、スーパーのカゴやバス停のベンチや農家の作物を盗んだり、小学校の給食費も踏み倒す時代に、何で化けちゃったのー。

なんで?

コンクリートから人へと、変えたからです。

なぜコンクリートの時代には、国民は幸せだったのか

「俺たちの税金を使いやがって」という憤慨は、勘違いでした。

もろに財源論の思想です。コンクリート代に税金が費やされる恨みは邪推です。

税金は単に、市場にだぶついた余剰通貨の間引きです。集めて廃棄するお金。

税金は支払いに使うお金とは違います。

税金は財源ではない。

国の出費に秘密があるのか?

無駄づかいの正体は、お金を発行して払う買い物です。

ゼネコンを受け皿に、国民所得がじりじり増えました。建設国債の発行でお金は増えて、国民の財布や貯金がふくらむのです。

国が使えば、お金は減らず逆に増える?

当たり前。何の不思議もなく、みんなの妄想とは逆です。

道路や橋やトンネルやダムをつくればつくるほど、国全体が富裕化します。

建設費を出す時に、お金を発行するからです。お金は減らずに、どんどん増えます。

・ 土建の公共工事の代金は、政府が通貨を追加造幣して払う、だから
・ 公共施設ビルや高速道路にお金を多くかければ、国民は所得増で富裕化が進む
建設で大勢食わせていた?

ゼネコンはサブコンと呼ぶ中規模の業者からも作業者を集め、地場の零細業者にも応援を求めました。ジョイント・ヴェンチャー(JV)とは、その混成チームを指します。

中規模業者はバイトも大勢やとって、大学にもひんぱんにスタディー模型づくりや、データ資料入力のバイトを募集しました。

エジプトのピラミッドづくりみたいに、お金に困った若者は建設業へ駆け込めば、万引きや強盗をやらずに済む状態でした。

利権の問題はないの?

利権に関しても、国民は間違ったのです。

「コンクリートから人へ」を実現すれば、利権が「コンクリートを売る会社」から「人を売る会社」へ移るだけです。

そりゃそうか?

資材から人材へと、利権の分野が変わるだけ。

既得権者の顔ぶれが入れ替わるだけなのに、既得権が消えると考えた中二病です。

そもそも人と人が出会った瞬間から、利権は発生しますから。

利権は絶対になくせない?

誰でも引っ越しの手伝いを頼む時に、見知らぬ他人に声をかけません。職場の友人に声をかけますね。こうした人のつながりが利権の構造です。

「土建をやめろ、堤防も道路もつくるな、無駄をなくせ」と国民は言いました。

そうではなく、国民はこう言うべきだったのです。

「堤防や道路づくりで節約するな、トンネル内崩落は許さん、地元業者も使え、地域にも金を行き渡らせろ」。利権の分散が理想です。既得権を皆で分け合うのが正解。

でもそれだとコストが高いし

また出たー。そこが国民の最大の間違いでした。

コストのお金は新発行するのが現代国家です。工事費は国民のサイフに入り、インフラは国民が無料で使えます。

「俺たちが納めた血税を無駄に使いやがって」は、中二病でした。

たとえば橋やトンネルを有料にするのは、財源論の勘違いです。国民のサイフに入れて、次に返させたら貧しい暮らしに落ちます。経済縮小する。

料金を上げれば上げるほど、単にストレートに貧困化の促進です。

結果はどうなった?

平成も令和も経済がさっぱり伸びなくなり、高齢者も障がい者も邪険に扱われて、若者は年輩から仕事を教えられず、搾取されるだけ。

女性差別は以前より激しくなり、やたら殺され山中に埋められているし、女性活躍社会にだまされパワハラ自殺。子どもも街で見かけなくなったとさ。

イソップ物語かよ(笑)

記事→ 財源論とは何か

コンクリートから人へという新思想で、日本経済は大きく縮みました。この思想は、財源論や利権論や重厚長大軽視など衰退要素が盛りだくさんです。
Photo: by Héctor Emilio Gonzalez on Unsplash