ドイツの高速道路は前々から無料、その理由を謎説き
日本の平成時代に、総理大臣が次々と替わりました。景気が上がらないからです。
ついに、長く与党だった自由民主党は下野しました。政権交代して民主党の内閣となりました。民主党が看板とした目玉政策は「高速道路の無料化」でした。
しかし全く実現しませんでした。せいぜいETC割引までで、料金の凸凹で混乱しました。深夜割引の時刻直前まで、大型トラックがぞろぞろと道路に駐車したり。
今も日本の高速道路は有料です。
ドイツは無料なのに?
高速道路の無料化がドイツではできて、日本ではできませんでした。
理由は簡単すぎて、わかりきっています。
ドイツはなぜ無料にできたの?
せーのっ。
「打ち出の小づち。貨幣プリンター。通貨発行権と呼びまーす」。
ドイツ国は自国通貨のマルクを刷って、アウトバーンと称する速度無制限の道路で、建設費と維持費を国が業者たち払ってきただけの話です。
そのお金は国民からの徴収や、海外からの借金ではなく、帳簿上のバーチャルな政府負債にすぎず、永久に返済不要です。だから永久的に無料なのです。
政府が自国内の物やサービスを買うお金は、政府が発行した自国通貨です。
自国通貨は政府の借入金ではなく、自己資金です。いつか返す時などない。
今のドイツ通貨はユーロだけど?
みなさん知らないようですが、欧州中央銀行も財政出動しています。EU本部側が打ち出の小づちを振って、加盟国へ統一通貨ユーロのお金をあげています。
日本でいえば、地方交付税交付金に相当しますね。最大の財政出動先はポーランドです。二番目がドイツなのです。
EU国の経済成長率がおしなべて低いから、財政出動が少なめだと丸わかりですけど。
この交付金が多くもらえる地は、文明がより高度に発達するだけの話です。
日本はもっと少ない?
通貨の発行をやめて、税金を集めて経済が回るなんて、日本だけ勘違いしまくり。
日本で高速道路を無料にできなかったのはなぜか
日本が高速道路を無料にできない理由は、打ち出の小づちを知らないからです。
政府がお金を使う時は、自国通貨を発行すれば済みます。
そうとは知らなかった
自国内で自国単位のお金を発行する仕組みを知らない人は、財源をみつけて持ってこようとするわけです。発行済みの既存のお金を、こっちへよこせと交渉したり、くすねて確保するために、無駄に走り回りました。
道路を舗装して保全し、防音壁をつくり、サービスエリアの駐車台数を増やして、樹木を植える仕事。その必要経費を払えるお金のかたまり、札束入りの金庫を探しました。
その金庫がいわゆる「埋蔵金」でした。まいぞうきん。
あったあった
埋蔵金を探す思想が、財源論です。
総量一定のお金を皆で分け合い、不足すると奪い合う思想です。
道路をつくればアシが出て、引き換えに児童手当を削減する共食いで考えるわけ。
財源の総量を大きくするために、手つかずで残されたへそくりやら、誰かが持ち逃げした隠し資金を探す目標でした。
埋蔵金探しこそが財源論です。
そこにつながるのか?
国民の勘違いは、政府が使うお金は国民が払うと思っている点です。
国民が働いてかせいだお金を、政府が奪って道路を舗装している邪推です。
自国通貨を発行する国際ルール「管理通貨制度」を知らず、だから貧困です。
なら税金とは何?
政府がお金を発行して国民に与えた後で、だぶついた余剰金を廃棄するのが徴税です。
税金は財源ではなく、超インフレの貨幣価値下落を防ぐべく、捨てるお金が税金です。
そんな基本さえ誤解されてるのか?
見事に、お金の奪い合いの構図を演じてくれました。
お金をとっておくこと自体、お金が書類だとも知らず、お宝だと誤認している証拠です。古銭でない最新のお金を、ひそかに寝かせるのは愚行ですから。
日本人はお金をハードウェアだと思っています。本当はソフトウェアです。
「埋蔵金が本当にあるんなら、高齢者福祉や幼児保育や大学研究費に使わんかい」という話になるからです。絵に描いたような共食いの光景ですよね。
この失敗で、簡単すぎる高速無料化が不可能だと思い込む国民が増えたでしょう。
あれからかなりの国民が、首を吊ったり線路に身投げしているのです。
日本を滅ぼす強大な力は、日本人自身だった
日本を貧困化させて滅ぼす闇の大組織は、ロスチャイルドやフリーメーソンや、イルミナティやコミンテルンだと、ネットでは言われます。
実際は日本人の一人一人が滅亡へハンドルを向け、ペダルを踏み間違えています。
経済学者は教えてくれないのか?
日本では経済学者は、ものすごく偉い人も、全然ものを知らないのです。
お金とは何か、どこから生まれて、使えばどうなるのか、ほぼ知らない。
知らない証拠がどこにある?
知っていたら、日本経済が傾くわけがありません。
起きている現実が証拠です。素直に考えましょう。
結果がともなわないのに、中味は充実しているなんて、ない話ですよん。そういう普通の感覚が消えているのは、経済学が宗教化しているからです。