東日本大震災のあの被害はみんなが認識を間違っていた例

高波と津波

東日本大震災の後に、みんなが共通認識した津波の正体

経済の認識がほぼ全員が間違っている現実を、別の分野でイメージするお話です。

大勢の認識がいっせいに間違っていて、しかも皆が共通した認識だった例が津波でした。みんなが知っている言葉なのに、浮かべる姿が実物と異なりました。

「波」という同じ漢字だから、みんなが念頭に描いたのは大波と高波です。地震の直後に起きる特別な波だから、防波堤に一段と激しく当たる高い波しぶきを連想します。

ザザザザーではなく、ザッパーンと大きい音を立てて、3メートルや5メートル、時には10メートルの波しぶきがパーッと上昇して、下に立つ人の頭にババババッと海水が叩きつける、そんなイメージでした。

「大きいのが来たぞ」。

バシャーンンン・・・

「すげー」。

津波とは、大きい高波を予想しました。ほとんどの人が。

津波を一度は現地で見たい思いが、大勢に形成されて

2011年のあの日に震度7の大きい地震が起き、ニュースで津波の警告が出た時でした。万人に共通したこの認識不足で、悲劇は起きました。

一部の若者たちが津波を見学しようと、海辺へと向かったのです。

スマホやデジカメやムービーカメラを持参して、大地震の際に起きる高い津波を撮影して、ブログやSNSで報告しようと。意義深い体験をしようと、興味しんしんで。

しかし高波とは全然違った?

寄せては返す高波ではなく、海面上昇でした。何と太平洋自体が広範に持ち上がり、土地の海抜が激しく低下したかのように、水面下に沈む現象だったのです。

目に入る海面一帯が増水して、海の流域面積が増えていきました。波打ちぎわの海岸線が変更されたようなかたちで、内陸が海に沈む現象が起きました。

防波堤へ見に行った人たちは、海との境界の陸地に立つつもりが、服のまま遠い沖に泳いで出たような体験になったと想像します。一番想像したくない部分です。

浜へ行かなかった人は

海辺へ見に行こうか迷ってやめた人や、周囲から強く引き止められてやめた人もいたかも知れません。悲しい運命の分岐点でした。恐ろしい出来事だったので、起きたいきさつはあまり語り継がれていないのかも知れません。

大勢の認識が一致すれば、正しいとして安心できるのか

陸地までが、海の中にある状態に変化する。

あんな現象を津波と呼ぶと事前に理解していれば、誰も見に行くはずがありません。

2014年に噴火した御嶽山(おんたけさん)でも、こりゃたいへんだとカメラ撮影する人の顔の正面に石が直撃するなど、報道も遠回しに言う惨事でした。

多くが浮かべる危険は野球のホームランボールだから、径50センチの岩石が千メートル飛んでくる、自然現象が想定できなかった悲劇でした。

社会全体が同じように誤解していて、誤解の訂正機能が利かなくなり、しわよせで一部の人が亡くなる事態は、他の分野でも考えられます。

知っていれば、そんなことをしなかった。知らなかったせいで一巻の終わりになるということ。国の経済に起きているのは、高波ではなくて津波かも知れませんよ。

日本経済に起きている津波・・・

今起きている誤解は

「国の無駄づかいをなくせば、国は健全になり給料アップ」。

「税金を多くとるほど、国をまかなう予算が増えて笑顔がたえない」。

「国の赤字を返済すれば、災害に強い立派な安全国が完成」。

どれも正反対だった

知らなかったから、国民は貧困化し自殺や衰弱死が増えています。詐欺も売春もどんどん増えて、大量殺りくテロが流行。往年の企業は次々倒産か身売りして、国家は傾き国際発言力も失い、他国から悪口を言われ後進国化。台風が来るたびに水びたし。

何しろ逆走しているから、けんめいにがんばるほど、もっと悪くなる一方ですよ。

悪夢を理想だと信じて、国民は生きたいと思いながら、死ぬ方を選んでいます。

まるで死の願望?

「防波堤にぶつかって砕ける、かっこいい津波を見たい」といっしょですね。

23年走って結果が逆に出ているのにまだ続けるのは、カルト的です。完全に間違っているのに、皆さん絶対にこれと信じ込んで、訂正機能がはたらかない状態です。

出ている統計結果まで、払いのけちゃって。

前回の国民皆カルト化の決算書は、1945年だったしー。

知らないせいで死滅することは、人の世ではよくある話です。ほぼ全員が間違っている確率を常に想定して慎重なのが、人を導く者の心得といえます。
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