安売り商売の熱さが、日本国の自滅への道のりだった
城南電機の宮路年雄社長。
バブル直後あたり、1990年代前半にテレビの「時の人」となった一人が、この名物社長さんでした。モットーは「庶民の味方」。限界を超え、とことん安売りする思想でした。
ロールスロイス車を自分で運転し、全国の問屋を回り、商品を仕入れて転売する仕事でした。仕入れる商品は、いわゆるバッタ品です。
バッタ品て何?
芸能人が言う「バッタもの」は、「まがい物」「偽ブランドのコピー商品」などですが、元は違う意味です。
ショップや問屋が倒産した時、場合によっては夜逃げを考え、在庫商品をお金に換えて行方をくらまします。その在庫をひそかに全て買い取る専門の問屋が「バッタ問屋」です。手形や銀行振込ではなく、現金で買います。
後日それが小売店に並ぶと、超お買い得価格の目玉商品となります。
流行遅れや不人気商品も混じるとしても、バッタ品はれっきとした新品です。
安売りの価格破壊は、なぜ1990年代に流行ったか
バブル時代に、各社の社長さんたちは銀行融資を受けました。マネー・クリエイションで貨幣が増えていました。
しかし不動産ブームで地上げした土地が下がると、銀行は融資金の貸しはがしを始めました。政府がこれを急がせたことが、バブルの後始末のしくじりでした。
バブルの実体経済は善だったのに、次につなげる切り替え方が悪だったわけです
各社が銀行への融資返済をいっせいに始めると、国民のお金が消滅します。
通貨不足を受け、国民が節約に傾いたことがひとつ。そしてバブルの物価高騰が、国民の痛みとして反転したことがひとつ。
インフレの灯りが消えそう
そんな忍び寄る不景気の影を国民は感じ、報道が激しくバーゲンをあおる展開でした。
テレビ番組で、物価を下げる安売りこそが正しく、国民の幸せにつながることを繰り返し力説しました。今で言うフェイク報道ですね。
その時代のシンボル的なヒーローが、城南電機の宮路年雄さんでした。
今ネットで見ると、1993年の火山噴火で起きた94年の米不足で、国産米を直接買いつけて赤字で売ったヤミ米騒動が、話題だったとあります。テレビタレント化したみたい。
一般ルートだとコシヒカリ10キロ5千円にも上がり、政府がタイ王国に長粒種のタイ米の備蓄分をリクエストし、古米のせいで風味が落ちていたあの悲劇の頃です。
この後、旧ヤミ米法も廃止されました。
安売りの価格破壊は、日本国民を幸福に変えたのか
価格破壊ブームにわく頃、日本人はあることを見落としました。
その大事な話は、テレビ番組にも出ませんでした。
給料や報酬やバイト料は、物価以上に増幅して振られる経済法則があります。
物価を3割下げると、所得は4割下がるというふうに。
価格をいくらでも破壊すると、所得もいくらでも破壊されます。しかも所得の破壊の方がパーセント数が拡大します。
聞いたことなかった
典型が、マクドナルドのハンバーガーでした。一番安いハンバーガー110円を、65円に下げたことがありました。すると65分の110倍の数が売れても、以前と同じ儲けになりません。牛肉など材料コストや、包装紙もその比率で増えるからです。
結局65分の170倍など、三倍ほど売らないと前より利益は減りそうです。そんなに売上個数増は起きないので、従業員の給料を下げるはめになります。
プロらしくない、雑で横柄なアルバイト店員が目立つのもその頃。コストカットで従業員の指導教育も省かれ、「嫌なら買うな」の風潮がはびこりました。
あの頃から日本人は冷淡で意地が悪くなりました。ブラックはさらに後です。
価格破壊すると、不況となり貧困化し、商売の流儀も格下化、途上国化します。
価格破壊の仕掛け人その後
価格破壊を最初に仕掛けた者は、先に滅ぶジンクスがあります。
東京のパソコン販売店で起きました。一番安い店が早く倒産しました。高めかほどほどの店は今も残っています。そういえばスーパーダイエーも、今は子会社ですね。価格破壊の元祖的な仕掛け人は、ダイエーの中内社長でした。
ナショナル電器の松下幸之助社長が、中内社長と衝突した説があります。松下社長は社員解雇が大嫌いで、品質のよい製品を高めに売りたかったのかも知れません。
ダイエーのライバルだった定価販売デパートは、今もいくつも残っています。国内の全ての店という店が価格破壊したら、社会は激しいデフレ不況に陥り国難になります。
国難とは具体的に何?
国自体が、まるで子会社に回るかのように、他国に服従して属国みたいになります。
緊縮財政と消費税増税で通貨の削減に努める日本に、その傾向はよく表れています。