お金の原型は誰でも発行できる、小切手と呼ぶ書類
お金とは何か。
借用証書です。
いつから?
戻ったのは1973年以降です。
貨幣は、金額を貸し借りした関係を記しています。お金は情報であるという難しい言い方になります。ある金額を貸し借りした記録が貨幣です。
わかりやすい例はある?
小切手です。
お金は金額の借用証書という、芸術的なロジックとは
会社でバイト代を小切手でもらった方はいませんか。4万円だとして。
小切手に、40000円と会社名が書いてあります。
4万円の小切手を、指定された銀行支店の窓口に渡します。小切手の裏にバイト君の住所氏名を書けば、何分か後に窓口で1万円札を4枚くれます。小切手は回収されて。
小切手の発行者は企業の社長です。社長が記入した金額を、銀行で1万円札や500円玉に取り替える権利を、バイト君は与えられました。
小切手も貨幣の一種か?
ただしハンバーガーを直接は買えず、万能の紙幣に換えてもらいます。
この小切手は4万円の借用証書です。ならば、誰が誰に4万円を貸したのか。
バイト君が社長に4万円を貸しています。
ええーっ、反対かと思った
社長がバイト君に渡した紙だから、社長が貸したみたいですよね。バイト君が受け取ったから、バイト君が借りた気がしますね。
逆なのです。
社長がバイト君から借りています。それを一筆書いた証書が小切手です。
社長はバイト君との関係で、ある誓いを立てました。
「4万円はバイト君の所有だ」「その4万円を、今は私が借りた状態だ」と。
小切手の発行者が、債務者(借りた側)になります。債権者(貸した側)でなく。
金額を貸し借りした記録は、どんな仕組みで成り立つか
理解の突破口は、ハンバーガーです。
小切手でハンバーガーは買えません。社長はお金をバイト君に、まだ完全にはあげていないからです。あげる儀式を終えて約束したのに、4万円はまだ社長側が持っています。
バイト君が持つべき4万円が、社長の側に残ったままの期間に、小切手が存在します。
約束を履行するまでの空白に、お金が存在する?
社長はバイト君から4万円を預かった状態です。社長は頭が上がりません。
1万円札4枚をまだ手にしていないバイト君は、社長より立場が強い。バイト君はお金を貸した権利、4万円の債権を持っています。
ならば、1万円札は誰が誰に貸してる?
サイフの1万円札も同じで、皆さんが日本銀行に1万円を貸しています。
これも逆に感じますね。日本銀行券と呼ぶ1万円札は、日本銀行が発行しました。それを手にする皆さんは、1万円を借りた気になりますよね。
違います。貸しています。
表面的な感覚と逆なんだ
日本銀行は皆さんから1万円を借りています。日本銀行が借金し、債務者です。
国民は貸し借り交渉なんかしていません。でも、日本銀行にお金を貸しています。解釈が逆だと理屈に合わないのです。難しいけれど、おもしろい原理ですね。
お金は物品ではなく情報だった!
債務(発行者)と、債権(所持者)の関係を書いた、記録用紙です。
誤って解釈しやすいのは、印刷された「ブツ」を見つめるせいです。
注意してください。皆さんは日本銀行に一万円のお札を貸しているのではなく、1万円の金額を貸しているのです。
紙でなく数字ってこと?
「1万円札のハードウェア」ではなく、「1万円のソフトウェア」の話です。
ブツでなく金額。購入権の貸し借り。これがお金を理解するコツです。
金銀などレアメタルに目がくらむと、全く理解できずに脱線します。
お金を眠らせるとどうなる?
バイト君が受け取った1万円札4枚を使わずとっておくと、日本銀行への貸しを封印し、債権者の強みを眠らせた状態です。お金の死蔵です。ハンバーガーなどを買えば初めて、バイト君は日本銀行から貸しを返してもらえます。
何も買わないと、貸したきりで何も得ない。お金は使わないと空費です。
もっと大きい話があります。大勢がお金に恵まれリッチな期間は、借用証が多く出回っているはずです。世に借金が山と増えた時、みんなの暮らしが豊かになります。
イメージと全く逆なんだ!
バブル後の日本が貧困化したメカニズムがこれです。
融資するとお金が現れ、返済すると消えます。
返済したからバブルがはじけたのか
企業も個人も銀行融資を返済して身ぎれいになれば、貧乏へ真っ逆さまに墜落。
借金を返せば返すほど、いくらでもいくらでもビンボーになった。
この原理で、政府が巨額の負債をかかえた赤字の山だと、国民はリッチで幸せに暮らせる対称的な現象が理解できます。
そこだよ、そこ
政府が黒字を目指せば、国民は赤字になり、大勢が死ぬ道理です。
お金の正体を錯覚して、借金嫌いで日本を倒したのが、平成デフレ不況です。
お金は使用権で、ただのチケットか!
物体、物質、版画、工芸、アートの顔がありながら、ブツを超越して抽象的です。
・ お金はソフトウェアであり、ハードウェアではない
ところでお金にとって現代となる分岐点、1973年に何があったかは、また今度。