65 銀色のシーズンの疑問 1(増補版2008年)

(映画のネタバレを含みます)

1 モーグル競技で、銀のゴールシーンに素人の滑りを使ったのは、失敗ではありませんか?

『銀色のシーズン』のクライマックスになる第2エア後の滑りに、俳優のスキー素人ぶりを発見した観客は多いようで、「選手にしてはへたすぎ」の批判も出ました。しかし、あの場面ではプルーク・ウェーデルンの意味があります。銀は第2エアで5年前と同じウルトラCを試み、またもや大転倒します。前回は足の大けがで即入院でしたが、今回はコブ斜面にしばらく倒れて起き上がり、外れた片方の板を取ろうと歩いて登ります。この時、彼はケガがないか確かめますが、打撲直後でよくわかりません。足関節を故障したかも知れず、とりあえず下まで降りるのに精一杯なので、スタントなしの滑走映像が使えたのです。転倒でゴーグルは外れ、顔も見えています。コブの凹凸は、本物の競技より小さく作ってありました。

2 俳優たちは当初、スキーの初心者だったそうですね?

銀、祐二、次郎役の3人の俳優は、スキーの初心者と伝わりましたが、どうもそうではないようです。3人とも子ども時代にスキーに触れたようで、特に祐二役は現役スノーボーダーなので、雪の性質は知っています。メイキング映像では、ボードとスキーの差を確かめつつ、スキー板が回りすぎてしまう姿が映っており、無からのビギナー練習には見えません。銀と次郎役も、出だしが全くのゼロではないので、いくぶんハードルが低かったと思います。スキーは、子ども時代にある程度かじっていると、成人後の再トライで差が出ます。

3 メイキング映像で、インストラクターは簡単にターンしていましたが、教わる俳優たちと何が違うのですか?

俳優を指導するインストラクターの動きをよく見ると、回転直前にフワリと伸び上がっています。伸び上がって雪に立つエッジ圧を減らし、食いつきを甘くしているのです。当然、次の瞬間に体はまた降りてきて、雪を強く踏むことになりますが、その際に板をずらして回し込むわけです。俳優たちも一応は伸び上がっていますが、最初のうちはまだ無意識には動けず、どうしても「せーの」といった唐突な動作で、タイミングも不自由です。

4 俳優たちが受けた一冬の集中特訓は、練習法として理想ですか?

何シーズンかに分けた方が有利だと思います。1シーズン中に3カ月ぶっ続けの練習だと、密度が高まり効率が上がりそうに思えますが、1カ月の練習を3年続けて分散した方が、合計日数が同じでも到達点は上がります。そうなる理由として、オフシーズンにいったん離れて次の冬に思い出す「変転」によって、ある種の年季が加わることが考えられます。また、シーズン前後にスキー情報を調べ考察するなど、より多角的に習得できます。映画の撮影は一冬限りなので集中特訓となりましたが、ある程度すき間をあけた練習の方が応用力はつきます。

5 3人のスキー板は、太くてゴツいものに見えますが?

一般レジャーシーンで圧倒的に多いデモ系カービングスキーとは違い、カービングスキーの一種ながら、長めでセンター幅が広いオフピステ系の板です。コース外をどこでも滑る破天荒なキャラに合わせたようです。サイドカット半径Rが20メートル程度とゆるいので、R15メートルのデモ系に比べ、はっきりわかるぐらい取っ付きの難しい板です。具体的にはターンが大回りぎみになって、スピードが上がりやすい板です。一方、七海がビニール袋で持って来た板は普通のカービングスキーで、スタッフが量販店で適当に買った物だそうです。『私をスキーに連れてって』の旧式スキーに比べれば、七海のスキー板だとびっくりするほど簡単にターンできます。ただし今の主流はもっと全幅が広くなっており、広い板ほどサイド部が雪面の荒れを乗り越えてくれるので、よりイージーに滑れます。

6 七海は3日でやっとボーゲンができましたが、それほどスキーは難しいのですか?

あの年齢であのレベルに届くまでの時間は、現実には始めてから2時間程度です。ただし実際に教会前のスロープをハの字ターンでゆっくり滑り降りるには、広いゲレンデを自由に滑るのと違い、コースに沿わせていく技量が必要です。さらに新郎と手をつなぐなら、速度調節の技術だけでなく、腕を押し引きされても倒れない全身のタメ、つまり外圧を受け流す身のこなしや、足の踏ん張り具合の融通も必要です。そこまでの練習には、本当に3日かかると思います。

7 実際のスキーでも、あんなに転んでばかりなのですか?

滑るたびに転倒するなら、普通は場所を変えます。ゲレンデ斜度が急すぎるか、ゲレンデ幅が狭くて左右にスペースがないか、雪質が重かったりアイスバーンなのか。また、板に不備がないかなどもチェックします。転んだ数だけうまくなるという説はウソで、転び通しの場所で練習しても非効率なので、転びにくい斜面に引っ越します。そういう斜面が用意されたスキー場が、初心者向きです。

8 七海は遠くを見るコツを知ってボーゲンに成功しますが、本物のスキーでもそうですか?

「コツを使って解決した」という解釈には注意がいります。その前に、まずは原理自体の考証ですが、足元に視線を落とすと、腰とヒザが後に引けて足が突っ張り、ターンに必要な運動が妨げられます。それを解決するために、顔を上げて4メートル先を見る姿勢が好ましいのは確かです。しかし、ならば最初から遠くを見ていれば、最初からターンに成功したかといえば、そうはいきません。「下を向くのをやめたら、転ばず滑れた」という単純さではなく、因果の順序はむしろ逆で、「慣れて転ばず滑れるようになったら、前を見る余裕ができた」が真実かも知れないのです。

9 「下ばかり見ないように」では、教訓にならないのですか?

そればかり強いてもダメです。実は、似た現象がスキーにはたくさんあります。例えば初級者が早合点しやすい、「両板の間隔を狭めれば、スキーが上達する」というイメージがまさにそれです。実際には因果が逆で、「慣れて自由度が上がれば、両板の間隔を狭める余裕ができる」が順序です。「狭くしたら上達した」はありえず、「上達したら狭くできた」が事実です。だから駆け出しの初級者が板をくっつけようと努力しても無駄で、むしろ敗退が早まります。「横へ逃げず下へ滑れば、コブ斜面を滑れる」というフレーズもそうです。実際は順番が逆で、「コブ斜面に慣れると、横へ逃げず下へ滑る余裕ができる」が物ごとの道理です。つまりいずれも、慣れたらできる範囲が拡張するだけの話です。「慣れた結果できたワザ」のうち、「ワザ」のみピックアップして集中練習しても、慣れるまでの時間は別途かかります。

10 それなら七海は、なぜボーゲンに成功したのですか?

こりずに繰り返し滑って、バランス感覚と力の加減を体得したからです。方法論ではなく、キャリアの問題です。誰でもスキー習得中には次々とコツを発見し、次からコツを外さないよう意識します。その繰り返しで洗練していきます。七海は傷心の旅で事件を起こし、雪の教会も雪崩砲で倒壊したので、模擬練習の意味も失いました。しかし、なおも当てどもなく滑るうちに、プルークボーゲンでS字ターンに成功します。この時得たコツ「下ばかり見ないで、前を見ないとダメだ」は、成功後に見通せた真実です。おそらく銀はスパルタ教習中に、「もっと遠くを見ろ」と指導したはずで、しかし足元に余裕がない七海なので、耳に入ったそばから抜けたのでしょう。余裕が生まれた時、同じ正解を自ら見つけたのです。

11 そこでは、何が本当の教訓なのでしょうか?

「やめたら終わり」という真理です。「継続は力なり」と同じです。

12 映画は、完成が心配されたそうですが?

よりにもよって撮影中に、気象台始まって以来の記録的なポカポカ日が続きました。八方尾根スキー場は、本来はゲレンデ外の森林も真っ白なはずなのに、映像に白以外の部分が多く、シーズン終了近しと思わせる風景に映っています。この映像自体が、暖冬の記録になってしまいました。それでなくても、雪の中の撮影はやりにくいものです。その昔、私はゲレンデで常にレンジファインダー式カメラを持参し、仲間を写して回りました。ところが、滑走スキーヤーが撮影枠に入らず失敗続出、次に斜度にだまされカメラが傾くミス続出、さらに雪に露出が合って顔が暗いなど、注意点の多さに閉口しました。しかも雪の斜面に立ってファインダーをのぞくと、諸々のどさくさで細部に気が回りません。この映画では、雪を集めて置いて回る重労働も加わりました。あげくに現地で撮りきる前に春が早く来てしまい、北海道やカナダのロケで補ったそうです。

13 映画の中で、一番良かったところと、一番悪かったところはどこですか?

この映画は、原案をそのまま絵に置き換えコラージュした趣向で、荒削りの感じがあります。その中で良かったと思う表現は、折々に顔を出して悪事を食い止めるパトロール隊長です。「ゲレンデ事件日誌」とでも題して、8週連続ドラマになりそうな迫力でした。まずかった表現は、ラストに銀が町民に「スキーのできない七海だ」と紹介したセリフです。自分を変えるきっかけ探しの青春映画なので、「俺たちの4人目のスキー仲間、七海だ」などの方がフィットすると思いました。(1)やっとターンができた初心者への敬服、(2)亡き婚約者のライフワークを継ぐ彼女の心情、(3)自分の転倒は町民と関係がなかった、(4)悪ガキ仲間の方向転換、これらが「スキースポーツの壁を破る真理」で焦点を結べば、おとぎ話に芯が通ってきます。やっぱりスキーがかなめの話であり、「スキーの映画ではない」と言う監督に反して、これはスキーの映画です。