64 銀色のシーズンvs私をスキーに連れてって(増補版2008年)

1 20年目のスキー映画

『私をスキーに連れてって』は、1987年末(87-88シーズン)に公開されました。すでに始まっていた80年代スキーブームの火に、この映画が油を注いだかっこうになり、若者皆スキーヤーという社会現象が生まれます。対する『銀色のシーズン』は2008年始め(07-08シーズン)に公開予定で、ちょうど20シーズン離れています。

2つの映画のちょうど中間の年が、奇しくもカービングスキー元年の97-98シーズンに当たります。つまり、『私をスキーに連れてって』の10年後にスキー板の革命が起き、革命からさらに10年後に『銀色のシーズン』ということになります。この合計20年を前後2つに分けると、前半の10年と後半の10年は革命の前と後なので、中味は大違いです。

すなわち、前半の10年は「曲がらない板1万年史」と「ずんどうスキー100年史」が終わろうとする、一番最後の10年でした。いうなれば、B.C.(Before Carving)時代の崩壊寸前です。そして崩壊。後半の10年は、よく曲がる救世主のごときスキー板に交代し、ここから子々孫々長い歴史がスタートする、一番最初の10年です。

2 スキー板の違い

『私をスキーに連れてって』の矢野文男のスキー板は、当然ながらサイドカット半径が大きい旧式スキーです。推定サイズは、200センチ-88-64-78ミリ-R45メートル。国民の多くが実際に滑って知っている、細長いずんどうな板です。曲がれない、止まれない、すっぽ抜けて暴走して尻餅。なぜ100年も続いたのか、全く首をかしげる板ですが、当時は全部これです。

対する『銀色のシーズン』は、もちろんサイドカット半径が小さいカービングスキー。城山銀の板は、174センチ-118-80-106ミリ-R19.1メートルが映る場面があり、旧式スキーよりトップ幅は30ミリ増、センター幅16ミリ増、テール幅28ミリ増。よく曲がり、楽に止まれて、操作が簡単。後ろ向きにも滑れるよう、後部もソリ状に上がっています。

このタイプは、カービングスキーの中でもフリーライド系と呼ばれ、革命の97-98シーズンにはまだ珍しく、一新されたカタログ内でマイナーでした。やがて海外で「ニュースクール」と呼ばれ、コブ用、エアトリック用、オフピステ用に分かれつつ合体していき、どこでも滑れて何でもできる万能スキー板の標準を目指す勢いです。

祐治は180センチ-113-79-106-R21.2のパーク用、次郎は179センチ-130-98-118-R21のパウダー用。3人とも一般カービングスキーより長くRが大きめなのは、スタントシーンの都合と思われます。ヒロインの七海は150センチ-105-70-95-R13.9と全幅が狭く、少し古い設計の製品です。皆が分類の異なる板を使うのも、この映画の特徴です。

3 滑り方の違い

『私をスキーに連れてって』の滑走で、まず目につくのが「踏み換え」操作の多さです。雪をガツンと踏んでエッジを当て、しなった板の弾力で体ごと跳び上がって左右を切り替えています。また、板が十分回りきらずに詰まる一瞬や、内足を残して踏み出し(ステップターン)する場面がたくさんあります。

文男はヒロインの池上優に、「内足を持ち上げて引きつけるな」と注意します。が、そもそも当時の板は内足を持ち上げないと回れないことが、フィルムでも再確認できます。こうした踏み換えの動作は、さらに18年前にさかのぼるイギリス映画『女王陛下の007』(1969年)でも見られました。

『銀色のシーズン』に目を移すと、隔世の感があります。銀と2人の仲間は、内足を持ち上げることなく、板を雪にぺったりつけたまま連続ターンします。ターンで板を踏み換えず、体を上下にピョンピョンやらず、パルシブな動作はありません。

高速の場面はもちろんカービングターン。断片映像ですが、板はモーターボートのように雪を切って、丸く深く回り込み、しかしスキーヤーの動作はゆるやか。俳優自身が演じるシーンでも、3カ月の練習で滑降競技のような板の使い方になって、滑る板の上でふざけてみせます。

4 足のスタンスの違い

『私をスキーに連れてって』では、板を肩幅に離す構えが多用されます。意外かも知れませんが、この開脚は当時の超上級者の模範的なスタンスです。文男が言うように、内足に体重を乗せるのは、現実でもタブー。外足荷重でないと内スキーがじゃまして回れず、板同士踏む失敗もあるので、内スキーを少し持ち上げて常に両足をブロックしながら回し込みます。

『銀色のシーズン』では、スタンスは狭くも広くも自在に変化します。両足荷重でリラックスぎみ、両足のブロックは弱く、板をわざと回し込む操作はぐっと減り、両板の傾きを同調させ舵取りします。内足に体重を乗せても転ばないカービングスキーなので、内スキーも区別なく雪に切り込みます。

5 一発ワザの違い

『私をスキーに連れてって』には、ワザを次々披露する楽しい場面があります。粗い雪での内スキーターンやジャンプターン。マジカルな技術に優は「すごーい」という顔をしますが、当時の水準でみてもかなり難しいものでした。しかし今となれば、旧式スキーの乏しい回転性と不安定さによって、芸のバリエーションや精度が大きく制約を受けている苦心も伝わってきます。

一方『銀色のシーズン』では、駆け足ぎみのカメラワークと編集で、深雪での高速ターンと各種エアを披露。岩場を飛び越え、整地で360度ヘリコプター。深雪に沈まず足場が安定し、よく回るカービングスキーなら『私をスキーに連れてって』の芸は比較的容易なので、各シーンは曲芸レベルへアップしました。次郎が水面を滑るシーンでは、板の広いセンター幅(98ミリ)を利用します。

6 20年の差はスキー板

「20年もたてば、そりゃ滑り方も進歩するでしょ」という話ではありません。スキー板の変化で、人間にできることが変化したのです。その証拠に、『私をスキーに連れてって』からの10年間は同じスキー板なので、滑り方はずっと同じでした。その期間は、旧式スキーのあまりの難しさに大勢がめげて、がっかりした「不幸の10年」だったと、本編で詳解した通りです。

人類史上、スキー滑走が一番つまらない時期が1988~97の10シーズンで、『私をスキーに連れてって』を見て客が押し寄せた空前の大ブームが、この旧式スキー最末期にぴったり重なったのは、悪い冗談のような事実です。新参者たちは曲がれないスキーに短時間で失望し、映画からわずか5年の93シーズンをピークに、早くも撤退を始めます。「私たちには無理だった・・・」。

悲壮な大撤退が一通り済んだ後の98シーズンに、ついに革命勃発。『私をスキーに連れてって』からちょうど10年。板が100年ぶりの突然変異を起こし、市販の全スキー板が設計し直しとなり、簡単に曲がれるスキーへ転じました。ゲレンデに残っていた数少ないスキーヤーは板を替えて革命的に上達し、一気にウルトラCを築いた「急進の10年」となり、『銀色のシーズン』に集結したわけです。

20年を隔てた2つの映画の時代を比べて、全く違っている道具はスキー板と携帯電話だけです。携帯電話もまた98年以降に急激に一般化し、カービングスキーの普及に合わせるようにゲレンデに広まりました。こうしてスキー革命の10年前と10年後が、偶然ながら、ともに日本映画に記録されたことは貴重です。