29 二十世紀末、スキーから客が去った理由

1 あのスキーブームは、好景気で人が集まり、不景気で去ったとするのが通説だが?

前半は正しく、後半は間違いです。好景気で遊ぶ金が増えて人が集まったのは確かですが、不景気で遊ぶ金が減って、出費がかさむスキーが嫌われたというなら、入れ替わって起きたスノーボードの大ブームを説明できません。平成バブル(昭和末期1985年から平成初期1998年にかけて起きた異常好景気)がパンクした後の不況で、金融破たん、企業倒産、自己破産、失業者、自殺者が増えるにつれ、スノーボードへの参加者が激増しています。

2 スノーボードの方が、多少でも割安ではないのか?

スキーとスノーボードは道具の購入費がほぼ同じで、交通費や旅費はイコールなので、節約で安い方に流れたという説明は無理です。第一、スキー用具を持っている人が、スノーボード用具に買い換えると、新たな出費が生じます。ちなみに、スキーだけの時代に比べ、ウェアは価格破壊しているものの、手袋やゴーグルは全般に高価になっており、高額なブランド品を指名買いするボーダーも多いようです。

3 スノーボードの方が、おしゃれだとか、ファッションが好かれたのか?

それも俗説の域を出ず、むしろ群集心理に後付けした理由でしょう。注目すべきは、特に南の県ではスキーヤーがスノーボードへ「手を広げた」ケースは珍しく、スキーを「放棄して移動した」ケースが圧倒的に多い点です。「今後、スキーは絶対やりません」と、わざわざ宣言してボードに転向した人も多いのです。スキーへの「恨み節」が聞こえてくる点に、カギがあるのです。

4 ならば、スキーブームが急激に終わった原因を、どう説明すればいいのか?

スキー新参客たちが、ブームの10年間(1986~95年)に、スキーが楽しくなるレベルに届かなかったことが、直接の原因です。ずんどうな旧式スキーの操作性の悪さが、客の上達を妨げて不快感をつのらせ、継続を断念させました。うまく滑れない日が続き、がまんの限度が来たからやめたのです。暴走と転倒ばかりでパラレルに一向に届かないから、見切りをつけて去ったのが真相です。

5 しかし現に、経済ダウンとスキー不人気が同時に起きているが?

全くの同時ではありません。好景気の早い段階でスキーを始めた人は、スキーの難しさを知るのも早かったので、まだ好景気のうちに去っています。同時性がいくらきわどくても、因果関係はないのです。

6 経済面も少しはあるのではないか?

上達が見えず迷っていたボーダーライン上の初級者が、収入減を撤退のきっかけにしたケースは皆無ではないでしょう。しかし注意がいるのは、「スキーへ行きたし、金はなし」という声は非常に珍しく、「スキーはもうご免だ」「止まれなくて恐い」という声が大勢を占める点です。以前は何度か行ったけど今後はイヤ、という国民的な総意が起きているのです。「将来好景気になっても、もう行くのはお断り」という決別なので、サイフの事情が左右した問題では終わりません。

7 若者スキーヤーが所帯を持ち、家庭に引っ込んでスキー不況になった、という説もあるが?

あまり関係ありません。その根拠のひとつは、スキーをやめた人がその頃に結婚していた例こそが珍しいからです。また、撤退したスキーヤーと入れ替わって、新しく参入したスノーボーダーは、実はかなりが同一人物です。ボーダーに経歴を尋ねると、「スキーに入門したけれど難しくてやめた」と答える者が圧倒的に多いのです。

8 パラレルの壁を越えない人は、結婚後にはどうなったのか?

独身時代にスキー場に通った人が、結婚後にパタッと行かなくなったケースは、いかにも多そうに思えますが、私の周囲でよく調べると誰もいませんでした。なぜかを考えると、新婚さんが婚約中に滑り納めに駆け込みで行くでもなく、入門何年かでとっくにスキーから遠ざかっており、区切りは結婚に見えて実はパラレルの壁だったとわかります。

9 滑走日数が多めで、壁越え半ばまで来ていた人は、どうなったのか?

調べてみると1995年頃に区切りがあり、その時点でボーゲンだったスキーヤーは、2000年現在にまず残っていません。筋のいい人や当時のイメージリーダーたちも、きれいさっぱり全滅です。この法則は北と南の県や、大都市と地方で差があったり、全国的には一定の例外があるでしょうが、私の知る範囲では実に誰も彼も、全員が当てはまります。レジャー系とレース系の、複数のチャネルで調査しても皆が当てはまりました。

10 メチャクチャにホレ込んだ「スキー命」の人は、その後どうなったのだろうか?

ひっそりとやめています。スキーに出会って幸福に満ちて、スキーの話ばかりしていた人もいます。夏が終わって秋の声が聞こえると、まだアブラゼミが鳴く残暑の中でスキー旅行のカタログをどっさり集めて回り、日程を熱心に検討していました。そうした顔役たちも、32日のパラレルには届かず、いつしか去っています。新たなスキー話にもう関心を示さないどころか、いやがったりします。熱中したおもかげは消え、スキーと出会った幸福感は、淡い初恋のように消えていたのです。

11 あのスキーブームには、火付け役があったらしいが?

すでに燃え始めていた火に油を注いだのが、1987-88年の日本映画『私をスキーに連れてって』です。スキーウェア開発をめぐる、さっぱりした恋愛劇で、制作者は映画の前から、ヤング雑誌の漫画イラストでスキーを紹介していました。映画の影響で、ミラーサングラス、ファー、ウェストポーチ、白手袋、ロングヘアに無帽などが定番になりました。靴はリアエントリー型が画期的でしたが、板は昔と同じずんどう型で、その絵柄が蛍光色、アースカラー、原色などとめまぐるしく変わっただけです。

12 その映画に、もしカービングスキーが登場していれば、どうなっただろうか?

クルリ、クルリと見せつけるレール・ターンに目を見張った観衆は、スキーのイメージを一新し、やってみれば真似ごとができてしまい、パラレルターンに至る人が続出、スキーが生涯スポーツとして今よりずっと広く定着したことでしょう。皆が曲がれて止まれて楽しく滑れ、各地にスキーが定着した可能性さえあります。

13 その展開は、実際には起きなかったわけか?

現実にはカービングスキーの登場は10年遅く、史上最大のスキーブームに全く間に合わなかったのです。部分的にかすりもしていません。旧式のずんどうスキーの劣悪な使用感にはばまれた人が続々と去り、駆け足のように短縮したブームがしぼみきったその後で、カービングスキーが登場しました。「死後のごちそう」とは、優れモノでありながら、あまりのタイミングの悪さ、残酷ともいえる遅刻ぶりを言っています。

14 映画はウェアで多くの客を魅了したが、ウェアでその10年を乗り切れなかったのか?

映画に刺激された客は、21世紀が近いのに19世紀型のずんどうシェイプの使用を余儀なくされます。ウェアはおしゃれで快適でも、足元操作の難解さが新参者を悩みに悩ませ、暴走の恐怖を植え付け、スキーの楽しさに?マークをつけました。ブーム最終の1995年と、カービングスキー販売促進開始の1998年の間の「空白の3年」にスキー客の大脱出が起き、衰退が一気に進みます。

15 100年も続いたずんどうスキーなので、今の人も努力して滑れないか?

私もスキー歴の9割はそれで滑りました。でも、もう無理。レジャーが多様でテンポが速い現代に、あんなに難しい道具では、本職や体育会系しか続きません。言い換えれば、下積みに費やす時間がもったいなくて、趣味多い都市の客はつきあい切れないのです。現にどんどん人が去っています。「スキーは曲がれない」「止まれない」「恐かった」と言い残して。

16 昔の人なら使えた板を、今の人はなぜ使えないのか、という意見も聞くが?

「昔の人なら使えた」という「人」の範囲が狭いのです。60年代、70年代の各ブームがありながら、いずれも去る人があまりに多く、普及した範囲の狭さが問題です。例えば70年代ファッションのジーンズブームのように、ブーム終了時に輪が広がって普及をみたという発展に、スキーはなっていません。大衆化するかに見えて、すみやかに元の珍スポーツに戻っているのは、板の難しさがネックだったからです。

17 昔のスキーはもっと不便だったのに、今は何もかもが完備して恵まれすぎでは?

板をかついで歩いて登り、短い斜面を滑って、板を外してまた登り、を繰り返したリフトのない草分け時代は、それでも夢と希望に満ちていました。当時参入した苦労人が、今カービングスキーで神々しく滑り回って、しかし物足りないのはわかります。ただ、マニア度が高いとスポーツは普及しません。板だけがポツンとリフトなき時代のマニア度で高止まりしていたのが、バブルの一大ブームの致命的な不備です。押し寄せた客は、板にけ落とされてしまいました。

19 猫もしゃくしも滑れば、スポーツオンチも多く混じり、早い引退はそういう人ではないか?

参加者が多いほど、すぐやめる人の実数も増えるのは確かですが、スポーツ万能タイプほどスキーが続くという法則も怪しいのです。他に何かスポーツをやっている人は、スキーをやめても帰る場所があるわけで、かえって非スポーツマンが壁越えし、スキーが長続きしている一面もあります。

20 昔からの人が残り、新しい人がやめて、客数が元に戻っただけなのでは?

計算はそうだとしても、やめた人が何を思っているのか、今の気持ちが問題です。例えばボウリングやビリヤードの定期ブームが、毎回「飽きられて」終わるのとは違い、最新のスキーブームは「恐がられて」「嫌われて」終わっています。「悪感情」が残ったのです。満喫して飽きたのではなく、満たされずにはじかれての脱退・・・。原因が法外な板の難易度とわかり、世界の全メーカーが板を総入れ替えし、解決は進んでいます。しかし度を超えた恐怖の思い出は今も消えず、散々だった古い体験談が次世代を巻き込むなど、負の遺産まで残ってしまいました。

21 恐がって去った人たちは、スキーの華やかな面だけを見て、あこがれたのだろうか?

それはスポーツの常です。どんなスポーツでも、いやスポーツ以外もそうですが、訓練して熟達した人は、かっこよくて、明るく楽しそうで、オシャレに見えます。しかし、結果の一面だけ見てあこがれて入門し、簡単な練習で済むかと思えば、全く届かないのでがっかりする、それは「よくあるパターン」に違いありません。

22 ただ、スキーは地道な練習さえが、本来もっと明るく楽しいはずだが?

ブームより前には健康的な明るさがあり、スキーは難しくて当然という納得ずくの雰囲気がありました。参加者同士に、高額で困難な珍しい世界にチャレンジする連帯感もあったでしょう。しかしイメージが俗化して誰もが行く風潮が一度できると、遠い世界のあこがれでなくなると同時に、快、不快を額面どおりに受け取る正直さが広がります。「不快」の判定を大勢の国民が下したわけで、「スキーの権威」が下がり、「雲の上のスポーツ」ではなくなったのが、あのブームの決算です。