17 壁を越える日は何日目か

1 パラレルの壁を越える日は、スキーを始めて何日目なのか?

私の場合、細かく記録しており、32日目の夕方でした。カービングスキーのない時代です。靴は自前の初級用で、板は旅館で借りた国産レンタルの非常に古く傷んだ185センチ、サイドカット半径は50メートル程度と推測できます。

2 その瞬間に、何を感じたのか?

「これはすごい」。別世界へ飛んだ気分です。ついにスキーヤーの仲間入りだ、スキーを語れるぞ、と自信がわいて。やがて、壁の向こうとこちらで、スキーヤーの心境が全く違う点に強い関心を持ちました。パラレルの前と後が連続していない気がしたのです。同じ「スキーは楽しい」でも、壁の手前で言うのと、壁の向こうへ抜けて言うのでは、「楽しい」の意味があまりに違い、「スキー全体の見え方」の次元が違うのです。

3 その直前に、どういう練習をしていたのか?

2泊3日のバスツアー旅行で、1人でぐるぐるスキー場内を回っていました。3日目の夕方に集合時刻も近づき、一番ゆるい斜面に戻ればパウダーの圧雪だったので、しばらく時間をつぶそうと滑り降りたとたん、2本の板が1本になったかのように平行のまま、ギューンギューンと連続ターンができ、「おおっ」と思ったのです。「これだ」と。32日間、一度もなかった感触が初めてありました。

4 仮にその日の前日でスキーをやめていたら、どうなっていたか?

2泊3日旅行の最終日が32日目だから、29日で投げ出していた可能性もわずかにありました。仮にそうなら、単に寒くて平坦な、春を待つだけの冬にとどまったでしょう。実際、壁越えして初めてわかったのは、それまでのターンはナンチャッテだったことです。以降は何度やってもパラレルになるので、分岐点を完全に越えたと知りました。

5 カービングスキーを使えば、32日は何日に短縮するのか?

25日程度と想像します。確たる裏づけはありませんが、旧式スキーの半分の16日までは短縮しないと思います。半分以上かかってしまう根拠は、雪という異物への慣れや、雪面が傾斜している向きの判断などに慣れる時間は一定で、どんなスキー板を使ってもそこは短縮しないからです。

6 カービングスキーでも25日かかるなら、旧式スキーを15日でやめた人は同じ結果なのでは?

15日目の心境に差があります。カービングスキーだと途中の気持ちが明るいので、15日でやめず16日以降があるのです。壁越えがまだでも、日々の達成感や期待感がプラス方向にふくらんでいるので、15日で投げ出す可能性はずっと低いと考えられます。悲観的に過ごす15日間と、楽観的に過ごす15日間の違いが、その後に出ます。

7 旧式スキーの頃でも、もっと短時間で上手になった人の話を聞いたが?

その場合の「上手」は、意味が違うのかも知れません。わずか4、5日でうまいうまいと賞賛された初心者を何度か見ました。私も賞賛したこともあります。しかし、「1週間でピアノがマスターできる本」の次元です。パラレルの壁はもっと先にあり、結局は「にわか上手」のぬか喜びが、翌シーズンの落ち込みを目立たせ、自信喪失でスキー放棄が早まった例も見ました。

8 何かの本で、5、6日で自然にパラレルになる話を読んだことがあるが?

私も8日目に起きましたが、あくまで一時的です。17度ほどの中斜面で板をガッ、ガッと押して伸び上がると、程よいスピードで、肩幅スタンスの連続パラレル状態になりました。写真が残っており、雑で不格好ながら確かに板は平行で、体重も前にかかっています。しかし時と場所で起きた一時ハプニングに近く、翌年から沈みました。スキーらしい姿に洗練していく途上で、姿勢も操作も変化し続け、まぜ返しになったのです。壁越えの安全圏は、まだ先です。

9 パラレルの壁を越えやすい時間帯があるそうだが?

夕方です。晴天のスキー場の雪質変化は、午前中バリバリ凍って、昼頃ゆるんでボソボソ重いシャーベット、夕方サラサラに変わるパターンが典型です。スキー初級者は朝に重労働に直面し、段々と調子が出てきます。ラッキータイムは15時以降で、山に日が落ちても早く帰らず、スローペースで繰り返し滑ることです。人が減って閑散としたゆるい斜面で、一日の成果が出ます。

10 しかし最近、夕方にアイスバーンに変わるゲレンデが多い気がするが?

そうでした。困った問題です。低温の日に、中、急斜面が絶好のサラサラ雪なのに、緩斜面に降りるとなぜかツヤツヤ光るアイスキャンデー状のバーンで、ビギナーや初級者たちがガガーと音を立て、悪戦苦闘している不思議な光景が目につきます。決まって客の多いゲレンデです。これは大勢のスノーボーダーが、「木の葉落とし」でアイロンをかけるように平らに踏み固めた雪が、日没後の氷点下でプラスチック状に凍ったのです。

11 初級の練習に向くのは、どういうゲレンデか?

(1)斜度がゆるい、(2)幅が広い、(3)一枚バーン、(4)雪質が軽い、というあたりです。狭かったり複雑な形状、鍋底、馬の背、クネクネ斜面では、どちらに傾いているのかわからず、立っては転んでアリ地獄状態です。また凍ってガーガー横ズレするアイスバーンは、倒れないよう体がこわばって、上達を自覚できません。

12 すいたスキー場がいいと、よく聞くが?

人が少ないゲレンデは気が散らず、リフト待ちのロスも減って有利です。ただしある種のロングコースには欠点もあります。森を切り開いた道状のコースですが、長い緩斜面の途中に中斜面がポツポツ混じって足止めされ、そこへ来ると進めません。気持ちが集中せず、リフト回数も激減します。同じ斜度が続く「たいくつコース」が、初期の練習に適します。

13 スキーを話のタネにしようと、とりあえず1日だけ試す人もいるが?

無意味です。理由はスキーが特殊技能だからで、32日かけて壁の向こうの「スキーの世界」に行かないと、正体はつかめません。同類に、自転車や水泳があります。初めて自転車にまたがった日に「走行体験」はできず、自転車のおもしろさを語れません。カナヅチの人が1日だけ水につかっても「泳ぐ体験」はなく、水泳の楽しさを語れません。1日かじって終われば、そのスポーツの何もつかめません。

14 そうしたタイプのスポーツは、他にどういうものがあるのか?

サーフィン、スケート、一輪車、竹馬など、「できる、できない」がはっきり分かれた特殊技能タイプです。例えばサーフィンでは最初はぐらぐらして立てません。立たないと波に乗れないので、立てる日まではサーフィンの何たるかはわかりません。やり方の説明を受けても初心者には真似できず、一定の訓練時間を要します。立てないうちにやめては、「元サーファー」になれません。

15 テニスやゴルフは、壁のないスポーツといえるのか?

テニスにはトップスピンやドライブサーブが入らない壁、ゴルフにはクラブがヒットしない壁もあります。しかしどちらかと言えば、「できる、できない」型より「うまい、へた」型です。「うまい、へた」型の代表格はボウリングやビリヤードで、ビギナーとベテランの点差がいくら開いても「できない人」はおらず、ビギナーは同じ世界を体験できます。ボウリングの感覚でスキーに1日きり参加し、特殊技能の特性に面食らった人は多いのです。

16 特殊技能型スポーツには、何か共通の特徴はあるのか?

主にバランス感覚のスポーツです。ビギナーは倒れてしまうので、立てるまで基礎訓練が必要です。基礎訓練の期間中は、そのスポーツを堪能(たんのう)できません。途中でやめたら、できない人のままです。逆に一度身につければ、一生忘れません。

17 スポーツの中でも、スキーは根本的に他と性格が違うらしいが?

スキーは他人と戦わない点が異色です。大半のスポーツは、敵と戦って勝ち負けや成績を競うゲームです。オリンピックの本質は「戦争の置き換え」と言われますが、スポーツのほとんどが闘争本能を発揮する場です。スキーにもタイムや美を争う競技の世界がありますが、通常のレジャースキーでは誰とも戦いません。

18 誰とも戦わないスキーに、何か勝ち負けはないのか?

うまく滑れたら勝ち、転べば負け、の自己評価です。あるいは毎年続けば勝ち、続かないと負け。スキーは登山に似て、1人で雪山を相手にした探検のようなものです。自然が相手なので、手加減も不正もなく、自分の技量で自立するほかありません。行く人数が大勢でも1人でも、「人対雪」の戦いに勝たないと続きません。