10 パラレルターンに届く人、届かない人、差はどこに?

1 パラレルターンができるようになるのに、一番必要なものは何か?

練習の量と質です。量と質の確保に何が必要かといえば、それは色々あって個人差も出ます。しかし結局は、練習の量と質の兼ね合いでパラレルを越えます。もちろんここでも決定的な合理的解決は、旧式のずんどうスキーをやめて、カービングスキーを使うことです。

2 パラレルの壁が高かったのは、旧式スキーも関係したのか?

最大の原因はそれです。新旧スキー両方にパラレルの壁はありますが、サイドカット半径が大きくずんどうなほど、壁は高くなります。カービングスキーは、旧式のずんどうスキーよりもよく曲がります。曲がらない悩みがパラレルの壁なので、曲がりやすい性質の板なら壁は低くなり、とてもよく曲がる板はとても低くなります。

3 初級者が悪戦苦闘したずんどう板で、ベテランはどうやって曲がったのか?

遠心力で増えた見かけの体重で、板を強く踏み押さえてたわませ、雪に接するサイドカット部分の半径を小さくしました。ずんどうな板でも、弓なりにたわませた状態でローリング(つまりエッジング=角づけ)すると、雪面に有意の円弧線で接するのです。

4 ベテランの通りにたわませれば、初級者もパラレルで曲がれそうに思えるが?

スピードがネックになります。板を十分たわませる遠心力を得るには、それなりの速度が必要なので、スピードに慣れるまでパラレルターンができない理屈になります。暴走の恐怖が楽しさを上回るこの期間に、多くがやめていきました。異口同音に「スキーは恐かった」と言い残して。

5 スピードに慣れてしまえば、即パラレルができたということか?

実はまだ足りなかったのです。スピードを出して遠心力を得ても、ずんどう板のたわみ量は知れており、曲がりながら進むには至りません。そこでベテランは、他に様々な操作をひそかに加えていました。強制的なひざの回し込みや、かかと押し出しなどです。回るはずのない板に補助動作を加えて、人為的に回したのです。

6 その補助動作を加えてやれば、誰もがパラレルができたわけか?

もちろんそうですが、現実にパラレルに届いた人と、届かずスキーをやめた人の分岐点は、技術面とは別の、もっと手前で天地の差がついたように思います。

7 パラレルの壁を越えた人と、越えられなかった人は、いったい何が違ったのか?

パラレルターンの知識を持った人は、スキーに関心を持ってスキー場に残ります。やめずに残れば、自動的に練習の量と質が得られる・・・という仕組みです。ゆれる心をなだめて楽しく過ごせるような、他人の助言が大きいのです。続けるも、やめるも、人それぞれ、という「それぞれ」の正体は、運動神経や体質や考え方ではなく、アドバイザーから得た知識と安心感です。

8 具体的にどういう知識があれば、安心感につながるのか?

(1)ビギナーの目標はパラレル習得である。(2)上達とはパラレルに近づくことである。(3)誰もがパラレルの壁にはじかれ長く停滞する。(4)壁を越えた日に世界は一変しバラ色になる・・・。停滞は空回りではなく、技術が蓄積する下積み期間だと知ることで、安心できます。

9 ふるい落とされた人は、どういう知識が足りなかったのか?

やめた人の声は、「スキーは私には無理」がほとんどで、「パラレルターンは私には無理」と言うのは聞きません。どうやら、このキーワードを知らないと危ないのです。この語を知らない知人は、何が操作のイロハなのか以前に、イロハの有無も知らずに10年を費やしました。私は「スキー参入者の目標は当面パラレルだけ」と説得しましたが、その知人は「人それぞれ楽しみ方があるはず」とリベラルな反論を試みていました。

10 人それぞれの楽しみ方は、発見できたのか?

その知人はその3年後にスキーをやめたので、別の楽しみ方はなかったのでしょう。独自の価値観を求めても、結局は雪上で曲がれず転倒し続け、つまらなくて撤退したのです。「それぞれの楽しみ」はもっと後に出てくるわけで、それまでの期間は将来を夢見て、練習して上がっていくものです。ところが知識を耳に入れないと、将来の実りを全く空想できません。まずいことに、その知人はやめた後で旧式板をスキー歴5日の人に譲っており、板が原因で敗れたことに最後まで気づきませんでした。

11 スキーの初級者が、何年も知識なしに続けてしまう原因は何か?

ひとつは、スキーが自由な世界だからです。なぜ自由かというと、対戦相手が不要だからです。テニスでも、柔道でも、相手とゲームして競うスポーツなので、敵と教師を兼ねた先輩が同行し、指導者なしの孤独なスタートはありえません。ルールとノウハウは、同時に伝授されます。ところがスキーは、敵と戦わない自己完結型のスポーツなので、ルールもノウハウも知らずに孤立しがちです。

12 生まれて初めてスキーをした感激の大小は、将来をどの程度左右するのか?

最初の感激は、長続きと直接は関係しないように感じます。一番多いのは、当初は喜んでパラレルの壁でしぼむパターンでしょう。初日に感激して生涯スキーに成功する人がいる一方で、感激しながら二度と行かない人もいます。最初の小さな感激が、長年かけてふくらむ人もいます。どの場合でも、パラレルの壁に差しかかった時に、身の振り方が分かれます。

13 人間の側に、パラレルの壁を越えられる性格、というのがありそうだが?

何となく、積極的で前向きな人が越えそうに思えます。複雑で難しい技術なので、うまいスキーヤーは聡明でしんぼう強いイメージもあります。スキーには魔法的でメカニカルな面もあり、キャラクターが文系より理工系という感じも。つまり、ややこしい話についていける人。しかし反例が多く、法則はみえません。ただ、「自分はなかなかうまくならない」などと自分から言い出す人は、自己客視に謙虚なタイプなのか、後日相当うまくなる傾向はありました。

14 逆に習得できずに終わりやすい人間のタイプはどうか?

どんなスポーツであれ、あまりに自分中心だと、習得に至らないのは道理です。また、続かない人に習い上手でないタイプが多い点は、確実にいえるでしょう。アドバイザーができない、というより自ら遠ざかるフシがあり、知識が入ってこず安心から遠いのです。「私にかまわないで」的な初級者は続きません。よけいなプライドで情報戦につまずく一面が、スキーにはあります。

15 言われた通りにできる器用な人は上達し、考え込む不器用な人はダメなのか?

どちらも上達しています。スキーは、5年、10年単位で積み上げる長丁場のスポーツです。だから上昇は一本調子ではないし、長く低迷した人は、その後に急上昇がよく起きます。長い目で見れば、器用組も不器用組も到達点は同等で、とりあえず続けたから上達したという結果論になっています。

16 スピードに強いとか、スピード好きなら、人一倍早く上達しそうだが?

以前ウェアのカタログで、F1ドライバーはスキーも達人という広告を見ました。F1レースがオフの冬期にスピード感覚を養うトレーニングの話題です。ところで私の周囲で、自動車のA級ライセンスを持つ2人が、スキーを始めました。1人は雪上を並はずれて速く走る運転の確かさが、同乗者の語りぐさです。もう1人はガードレールが少ない狭く急な、雪なしの曲折道を、深夜1人で初通行し、私の数十回の記録より10分早い15分で駆け上がりました。

17 そんなスピードマニアなら、普通の人より上達も早かったのでは?

結果は、ゲレンデで2人ともあえなく挫折。予想外でした。スキーは生身をさらす質素な道具なので、文明の利器を操作する技術と関係しないかも知れません。しかし一番の理由は、やはりパラレルの壁の特性です。スピードに強いだけでは、板は言うことを聞きません。スキーはワン・アンド・オンリーの、独立したスポーツといえそうです。かつて私自身も、スケートができるのに、全くスキーの足しにならないことを知りショボーンでした。