09 スキー最大の難関はパラレルの壁

1 パラレルの壁とは、どういうものか?

ビギナーは最初に両スキー板の構え方を、後を広げたハの字形(プルーク)にして滑ることから始めます。ハの字の直進をプルークファーレン、連続的に曲がるのをプルークボーゲンと呼びます。ある程度上達すると、2本のスキー板を平行に置いて、直進して滑れるようになります。ところが直進ではなく、丸く曲がりながら進む「ターン」を行おうとすると、2本の板が平行になってくれず、いやでもハの字に戻ってしまいます。これがパラレルの壁です。

2 ターンの時だけハの字になったからといって、どうしてそれが壁なのか?

ああやっても、こうやっても、100回曲がれば100回ともハの字に開いてしまい、首をかしげます。無理に板の平行を保とうとがんばると、今度は曲がれずに直進し、時には暴走、転倒して、スキー板が全く言うことを聞きません。どうすればベテランのように板を平行に保ったまま、カッコよく曲がって進めるのか、途方に暮れます。これを不思議に思う間はまだよくても、このお手上げ状態が長引くうちに絶望感に発展するのです。

3 どんな絶望感か?

先の見えないスランプに似た状態が続くので、気持ちがどんよりと暗くなり、明るく陽気なキャラクターの人もかなりメゲます。具体的には、(1)板が思い通りにならず曲がれずに恐い、(2)うまく曲がれる人と自分の違いが何なのかわからない、(3)ベテランが違う世界の人間に思える、というように疑問、恐怖、疎外感が拡大します。そして、挑戦しがいのある難しさの限度を超えて、苦悩の域に入っていきます。

4 ハの字スタンスは安全な滑走法なのに、なぜ恐くなるのか?

板がハの字だと、スピードが出た時に板同士が交差しやすいからです。「初心者」の間はスピードが出ていませんが、「初級者」へと慣れていきスピードが出始めると、ターン中に何かのはずみで板の先同士が接触したり重なりやすく、すると板が瞬時に停止して体が前へ投げ出されます。もし板が平行なら、左右の間違った方に体重をかけても、少なくとも交差は起きません。ところがその平行が、努力しても全く実現しないのです。

5 その後も実現しないと、何が起きるのか?

ハの字ターンから永遠に出られない気がして、当初の興奮とおもしろさが低下している自分に気づきます。すると腰が重くなって、自分からは積極的にスキー場に行かなくなり、誘われても渋り始めます。つき合いで何とかゲレンデに行っても、板が平行に保てず足元が乱れる自分がやっぱり再現されるから、だんだん足が遠のいて、ついに休眠、あるいは撤退することになります。

6 スキーヤーにとってパラレルは、そんなにも重大なのか?

一般に「スキーができる」とは、パラレルターンで回れることを指します。「スキーをやったことがある」という次元とは、世界が全く違っています。隔絶しているといえるでしょう。だから初級者にとって、パラレルは昔からあこがれの夢です。と同時に、幻滅の原因にもなります。「スキーがこんなに楽しいなんて」と歓喜の声をあげ、道具をそろえ毎年の初雪を心待ちにし、回りの人を誘っていた幸せそうな初級者が、数年で人が変わったようにパッタリとスキーから引いてしまうのは、パラレルの壁を越えられなかったからなのです。

7 スキーは難しいスポーツだと言われるのも、その壁と関係があるのか?

俗に「スキーは難しい」と言えば、パラレルの壁を指します。誰もが必ず直面する、唯一、最大の難関です。続かない人は全員この壁でやめており、別のカ所で「行き詰まって」やめる人は、現実にはいないでしょう。

8 しかし初めてスキーをつけた時点で、難しさはすでに全開だと思うが?

確かに初スキーの日に誰もがショックなのは、板が雪に対してフラフラと非常にあいまいに接する点です。「何これ?、こんなにも、つかみどころがないの?」と、思う方に滑って行かない浮遊した挙動に面食らいます。「もしかすると自分はうまく滑れるかも」との事前の期待が打ち壊され、全員が悪戦苦闘の渦中に投げ出されます。板が思わぬ方向へ走り出して転ばされ、カッカして頭に来る人さえいます。このとらえどころのない挙動は、パラレルの壁と同じ原因で起きます。

9 そんなパラレルができた瞬間には、いったい何が起きるのか?

ある日、ある時、パラレルの壁を越えます。力まなくても、板がハの字に開かず、おもしろいように平行で連続ターンができ、「おおっ、これだ」と最高の喜びが起きます。(1)できる、できる、すごい。(2)これがパラレルだ。(3)スキーというものがわかった。(4)いくらでも長い時間滑っていたい。(5)一生スキーをやるぞ・・・。壁を越えずにやめた人との明暗は劇的で、パラレルの壁はこのスポーツでの身の振り方、つまり去就の分かれ目になっているのです。

10 ただ、その辺のスキー談義に耳を貸しても、パラレルは話題になっていないが?

だから、入門間もない初級者は孤独なのです。スキーの細かい技術を話題にする上級者にとって、パラレルは人が普通に歩くぐらい常識なので、歩くと足がもつれる幼児のような初級スキーヤーの立場や視点を忘れています。初級者は、板が平行かハの字かの根本的な問題に全身で衝突しているのに、上級者にへたくそとあしらわれ、煙に巻かれた気持ちになったりします。

11 パラレルができる、できないがスキーヤーの進退を決めるあの説は、どこからきたのか?

統計です。私の知る範囲で、スキーを続けている人とやめた人の全員を追跡調査し、集計してわかりました。スキーをやめる「きっかけ」はブーム下火以外に、多忙、結婚、仲間が去った、歳をとったなど様々です。ところが、同じ条件なのに細々でも続けている人は全員がパラレルスキーヤーで、きっぱりとやめた人は全員がボーゲンスキーヤーと、きれいに分かれていて驚きました。「ボーゲンでは楽しめない」「ボーゲン段階はスキー未満」という結果論になっています。

12 スキー旅行に誘った反応が、ボーゲンスキーヤーとパラレルスキーヤーで違うそうだが?

意欲が対照的です。昔から不思議だったのは、たくさん滑ってドカ雪も見慣れ、ゲレンデを知り尽くしたベテランほど、いっそう行きたがることです。ボーゲンスキーヤーは、「誰々が行くなら私も行く、行かないならやめる」などと消極的なのに対し、元レーサーや大学スキー部出身組は、出張先から急いで駆けつけたり、仕事の都合で途中の駅から合流するなど、意欲がはるかに大きいのです。

13 その法則に例外はないのか?

行きずりで1人思い出します。大山で同室になった金融会社の管理職氏は、1人で来ていて、上越や東北のスキー場巡りを続けて、毎年冬が楽しみだと言っていました。しかし翌朝ゲレンデで偶然会うと、まるで生まれて3時間滑ったレベルなので驚きました。10年後の今も同じ調子なら例外的な存在でしょう。もちろん誰でも最初はボーゲンから始めるので、続けている人ではなく、やめた人に着目する必要はありますが。

14 最初は皆パラレルができないのだから、ボーゲン段階でやめれば、誰も残らない理屈では?

「パラレルの壁を越えられなかった人はスキーをやめる」という表現は、「勝ち方程式」です。統計結果は「スキーをあきらめた人はパラレルの壁を越えていない」「断念した人にパラレルスキーヤーなし」ですが、これを裏返しにして戦略的に言い換えています。