現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館のQ&A

135 本物ビールと本物芸術の特徴は不純物

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2022/12/30

――今日はビールの話ですか?

1995年の秋だったか、建築設計コンサル本社からの出向者とアルバイト新人を歓迎する飲み会の会場が、近くにあるビール工場でした。工場内のレストランの生ビールは、普通のジョッキでした。ところがあまりにおいしくて、かなり驚いたのです。私はあちこち飲み歩くタイプでなかったし、味を知る者がいたとしても伝え聞くことはなかったし。

――おいしいビールは、びんや缶でもありますね?

ビール工場は次元が違いました。うまいビールはここがこう違うと、はっきり言葉に表せる鮮明さでした。当時も周囲の人たちと何度か話題にしました。単純な話で、うまいビールは「農業の味」がします。一方で、びんや缶だと「工業の味」なのです。微妙な違いではなく、あまりにかけ離れた風味の違いを感じました。

――農業の味って、具体的にどんな味ですか?

穀物の味です。植物の香り。草の匂いがします。ビール工場と呼ぶので工場製の生産物ですが、れっきとした農作物だとわかる味です。植物の香りは土の匂いにも近いから、土地に生息していた生物なのだと強く感じました。とにかく植物性の味と香りがあらわでした。

――ビールへの一般的な誉め言葉と違いますね?

切れがいいとか、のどごしすっきりとか、軽い重いという評論が色々とありますが、もう全てつまらなく思えました。そんな次元ではなく、もろに麦わらに似た草の匂いが残っていたのです。びんや缶やタルでも覚えのない、ビール工場で初めて知った味でした。

――外国の特にヨーロッパのビールは、けっこううまいらしいのですが?

その時よりも前に、ベルギーやオランダなどの太くおとなしい味わいの缶ビールも飲んだことがあり、ビールの魅力はアルコールでないことは知っていました。私はアルコールのないビールも全然平気でした。家でそれを冷やさず室温で飲んでいたので、ビール工場の生はかすかに覚えのある風味ではあったのです。

――アルコール抜きのビールを馬鹿にする人は多いみたいですが?

ごく低アルコールやゼロのビールが、私は好物でした。それはアルコールにごまかされず、素材の風味がよくわかるからです。ビール工場以降に再認識したのは、前にも買ったことがあるオーストラリア製のノンアルコールのビール風飲料です。安物なのに、材料は麦芽とホップのみ。ビール工場での衝撃をきっかけに、似た傾向があるそのノンアルコール缶を何度も買ったものでした。

――食品全般に話を広げると、本物とニセモノはどう違うのですか?

本物と言われる食品は、実は意外に味が複雑です。風味が不純なのです。わかりやすいのはバナナです。果物(野菜説あり)のバナナと、バナナ味のガムを比べると、実物のバナナの方が味に混じりものが多い。甘い中に草のような匂いもあるし、房につながった付け根のあたりはそら豆みたいな品のない匂いも残り、他にも牛乳みたいな匂いも混じっています。いかにも植物のクキらしい青臭い匂いもあるし。

――そのせいか、バナナが嫌いな人が意外にいますね?

バナナが嫌いな人はフニフニした食感もあるし、メロンも嫌いなことが多く、香りに悪臭の成分が混じっていることも一因だと思います。バナナには多少でも下品な匂いが混じります。多くの人は納豆と同じで、その成分を脳内で過小評価して隅に追いやり、おいしく食べているわけです。そんな不純な匂いだけをクローズアップすると、嫌いになるでしょう。

――食べ物って、みんなそんなものじゃないですか?

コーヒーもそうだと知りました。私は長年コーヒーに全く興味がなくて、大学の時に女の子が入れてくれたコーヒーも関心がありませんでした。放置したまま、翌朝にも丸ごとテーブルにあったりしました。それから30年前後たち、突然思い立ってインスタントコーヒーを初めて買いました。

――インスタントコーヒーは苦いだけだったりしますが?

インスタントコーヒーをおいしくつくるコツは、湯の量に対する粉末の量です。実験してスプーンの加減を探して、記録して管理しないといけません。最初の何杯かは必ず失敗します。失敗するとひどく苦い味に化けるから、砂糖を入れるはめになるわけです。成功すれば砂糖なんて思いつかないはず。何度か試して粉の適量を見つけて、週に二回ほど飲むようになりました。コーヒーとはこういうものだったのかと初めて理解できて、好印象を持ちました。

――インスタント三昧で終わったのですか?

次に豆を買い、豆をひくコーヒーミルも買い込み、レギュラーコーヒーの味比べを始めました。専門店を地図で調べ、車で買いに行きました。どの豆がよいのかは名称で判断がつかず、店の手書きの説明を全て読んでみました。

――インスタントと比べると、レギュラーコーヒーは何が違いますか?

やっぱりビールやバナナと同様です。植物の香りがします。コーヒーらしい味と香り以外に、植物の実に含まれる成分が混じり合い、複雑な味に感じます。シナモンふうだとか、木質の香りが強め。これはインスタントと対比させれば、はっきりわかります。インスタントとレギュラーの両方を知っていると、コーヒーの植物的な顔がよく見えました。

――本物には、何か世の真理が共通してあるのかも知れませんね?

美術の本物にもいえる気がしています。芸術作品は概して味が複雑で、変な味や悪臭も混じっているものだなと、時々思うことがあったのです。もしかすると芸術性という付加価値の内訳は、不純物の存在ではないかと仮説を立てました。雑多な成分が協力し合って、芸術が生成されるのではと。

――今の美術制作は、そういう方向へ向かっていますか?

日本のいくつかのネット通販サイトで売られている絵画を、全て調べて回ったことが何度かありました。登録作品が少しずつ増える毎日ですが、何千点を一個ずつ見ていきます。サイトのレスポンスが遅いとか、元画面に戻れず使い勝手が悪い設計もありました。結果はやはりインスタントコーヒーやバナナ味ガムみたいに、クリーンに単純化された作品が主流でした。簡易的な略式アートみたいな。

――複雑な味と香りがない単純な作品は、近年増えているのですか?

作品にこぎれいに整えた形跡が目立ちました。汚れた成分や暗部のダーティーなかげりが、きれいに除去された感じ。嫌な感じを除去したように見えました。掃除したクリーンさ。これも不景気のせいなのかなと思えたものです。

――劇画調でない、漫画調みたいなすっきり感ですかね?

そんな感じもあります。別に汚損すればよい意味でもないのですが、絵に濁音的なごってり感がありません。小ざっぱりして小ぎれいで、清潔感ばかり。絵画が全般的にグラフィックデザイン化しています。デザイングッズに向かっている感じ。レギュラーだったはずのファインアートが、インスタント化しているように思えました。

――絵画をデザイングッズ風に軽量化して、デメリットはありますか?

海外では値段が落ちます。ドイツの日本祭で絵画を売ると、レコードジャケットサイズでも、グラフィックデザイン系に比べアート系は平均5倍の高額で売れました。平面創作物の格はアートとデザインで違うようです。ドイツの人々は、芸術の定義を一応わきまえて見分けていると感じました。

――日本で今どきのアートは、略式でないとウケないのですかね?

日本でやっていくには、マイナス評価を避けたい事情があるようなのです。嫌われるかも知れない要素をカットしておくのが、日本市場へ向けた安全策になっています。まずは嫌われないように作り、排除を免れて残る考え方です。バナナのような嫌われ方を避けるみたいに。絵も苦みや渋みが嫌われる恐れで、甘みだけを残す作風に向かうのではないかと。バナナ味ふうガムみたいにすっきりさせて。

――なぜ日本だけ、作品が嫌われる不安がそんなに大きいのですか?

美術市場が小さくて、事実上はないも同然だからでしょう。国民が買う作品数が、ものすごく少ないのです。美術を買う習慣がそもそもありませんから。作品を気に入るという範囲が狭いのです。どれが原因でどれが結果かは厳密にはわかりにくいのですが、内外の美術展覧会のスタイルの違いは大きいと思います。

――日本だけが展覧会のスタイルが違うのですか?

世界の美術展覧会はアートフェアと呼ぶ展示即売会です。全国駅弁大会みたいにお客は作品を買い上げていきます。会場でワインなどドリンクが販売され、音楽も鳴っています。展覧会場は売店なのです。対して日本は公募コンテスト展であり、制作競技です。審査員が事前に順位をつけ、下位は落選とされ展示不許可となり、展覧会から追放されます。合格作品のみお客は見ます。そして「大賞」「金賞」のラベルが目に飛び込んできて。作品の売買は禁止されています。海外の展覧会と全く違う仕様です。日本の有名公募美術展は、受験の合格発表に似て固く緊張した雰囲気です。

――お客は作品でなく、賞を鑑賞しているみたいな?

日本の展覧会場では原則というか、ならわしというか、価値あるものを鑑賞して、価値を堪能したい前提があるのです。価値あるものだけを集めて、順位を決めておく準備が行われます。上からの指示に皆が従うかたちで鑑賞し、お客が価値を決めてはいけないも同然です。どれがよい絵画なのかは上が決めて、下に教え込む慣習です。僕らにとっての傑作という、庶民の価値判断が抑制されています。

――その結果、日本に何が起きているのでしょうか?

国民は永久に美術が苦手なままです。自主的に鑑賞する力が備わりません。そして日本国内で、大物美術家の人数が少なく限定されます。下克上的な下からの突き上げで大物が出ない。ネームバリューが輝くアーティストが少人数いて、残りは無名。中堅や成長株もわずかで、市場がうんと狭い。美術が一般化せず特殊化しています。それで若い女性画家をセクシー路線で売り出したり、芸能人の副業など名前先行が増えるわけです。人々に国内の画家名をたずねると歌手や俳優が並んでおり、美術が一般化していない証拠です。多くの現象は根っこがつながっています。

――絵を買う気運もないから、国民はそもそも作品を見慣れていないのですね?

アートがみんなの目に珍しい存在なので、深い世界を求める入れ込みが乏しい。作る方も見る方も、踏み込みが浅い。ビギナーほど表面的な次元に関心がとどまる単純な現象でしょう。だから作品の小さなトゲも気にします。トゲは芸術の領域にあったりして、芸術性を抜いた作品が好まれる流れになるのです。世界で日本だけが、マイナスワンです。ワンとはピンポイントで嫌う芸術性です。通販サイトで私の率直な感想は、「芸術以外は豊富にそろっている」です。見ても見ても芸術に出会えず、バナナ味ふうがずらり。

――日本以外の、他国の画家はどういう作風ですか?

Instagramが買収された後もしばらくはメールアドレスだけでアカウントが取れた時代に、私はしばらく使い西欧の画家の作品を見ました。日本と違いワイルドでごってり感があり、重厚でダーティーな作品があります。全体の明度が低いとかではなく。絵の軽い部分に対して重い部分をカウンター的にあてた、鮮烈な作り方が世界にみられました。コンテスト向けの落選対策が、作品にほどこされていません。

――懐の深さというか、リミットが外国の方が広いという?

検閲されて削られた抑制は、他国の作品を見る限りは感じません。重い影の部分が芸術性に寄与するのだと、世界は知っているかのように。日本では敬遠されカットされる成分が、西欧国の作品には普通に含まれています。天然バナナが通用しています。美化のつくろいがない。「ここまで行けば許せないでしょ」と、私も海外では実験しやすい。

――ということは、日本人の能力が低いわけでもない?

そこが重要で、日本人が制作しても、芸術性は表れているのです。ところが自分の目で見て削ってしまいます。食べ物の雑多な不純部分の除去みたいに、刺激を弱めているわけです。落選させる口実になる部分を審査員に見せないよう、作者がトゲの成分を取り除いて整えます。公募コンテスト展での落選を回避する自主規制の習慣がとれない。「好かれたい」以上に「嫌われたくない」です。嫌われてしまうと返品されて、人々に見てもらえないのがコンテスト方式だから。創造に検閲が必要なのか、非常に疑問です。創造の意味をとらえ間違いしているとしか思えません。

――外国で全く通用しない日本の絵はありましたか?

よくあったのが、パステルカラーだけで構成された絵です。海外でまるでだめでした。向こうに持って行くだけ無駄だと感じたほど。色に良いも悪いもないから、大好きな色であれ芸術的な浸透力にはなりません。パステルカラーの画家は色を見せ場として、他の見せ場がないことが多い。作者自身が色に魅せられた分、芸術性が抜けているケースが多い。日本では落選しにくいメリットがあるのかも。

――きれいな色に熱中する画家は日本に多いですね?

美味を求めると、雑多なノイズ要素を削って脱芸術に向かいがち。美化は芸術と関係ない上に、逆向きが多いのです。人工の表現物があたかも自然物であるかに見える厚みや重みは、不純物を多く含む豊かさにあると思えます。みんなが取り除きたくなる、ダーティーでかげった、暗く重く陰気な部分が芸術性に寄与するのが人類の歴史なのに。

現代美術とCGアートの疑問と謎 もくじへ 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館へ戻る 電子美術館へ戻る
Copyright(C)2005 21SEIKI KOKUSAI CHIHO TOSHI BIJUTSU BUNKA SOZO IKUSEI KASSEIKA KENKYUKAI. All Rights Reserved.