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電子美術館のQ&A

134 和歌山カレー事件の真犯人は誰なのか

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2022/9/30

――今回はまた変わった話題ですね?

『和歌山毒物カレー事件』(1998)から四半世紀がたとうとしています。園部地区の夏祭りでつくられたカレーの鍋に毒物が入れられ、67人が急性ヒ素中毒になり、4人が亡くなった大きい事件です。24年もたつとやはり風化しており、地元にも事件を知らない若者が増えているようです。この事件にパズルふうのロジックが含まれていることに、私は気づきました。バズル的な思考はアート鑑賞につきものです。

――金が目当ての詐欺師が、金にならない殺人をやるわけないとして、事件全体を疑う声がネットにありますが?

それです。いわゆる冤罪説です。その疑いは何かを証明はできず、言葉の印象操作止まりです。同調圧力を受けての結論ありきのバイアスを感じます。詐欺師は殺人をやらない法則などないでしょう。教条的な机上の論というか、裁判所に足も運ばずに願望を述べているみたいな。知人にヒ素を混ぜた料理を食べさせ緊急入院させて、保険金詐欺に成功してきた人です。近しい人に毒を次々投入して大金を得てきたレアな犯人が、毒殺事件の渦中にいるのは偶然か。さかのぼれば親も不審死していました。

――容疑者は、他人にヒ素を食べさせた犯罪が何度もあり、毒でターゲットを倒してきたベテランですか?

冤罪説の論理の回し方に、私はネットで広まった詭弁術が隠れている気がしました。意味上のつながりよりも、言葉を並べて誘導する言いくるめが、平成時代に多発した論破法でした。平成は「失われた30年」の日本経済低落と貧困化に並行して、嘘やだましがはびこり研究された時代でした。○○プロパガンダなど、詭弁術が流行っています。わら人形プロパガンダとか、恐怖プロパガンダとか。

――この事件は誰が犯人なのですかね?

私が考えたのは、容疑者と関係がない第三者が犯人である確率は、およそゼロに近いのではないかと。判決がひっくり返るどんでん返しの展開は、ないだろうと見込んでいます。

――容疑者が真犯人だと疑われる決め手は何ですかね?

完全黙秘です。警察署の取り調べで黙秘し、検察でも黙秘しました。さていよいよ一審の裁判です。起訴のために検察側が用意した調書や証拠をひっくり返すような、何か事実を裁判所で証言することで、裁判官たちは容疑者をシロ判定する可能性が出てきます。そうなれば傍聴席はどよめきに包まれ、事件はカオスに突っ込みます。本当の犯人が町内にまだ隠れているぞと、大騒ぎになるでしょう。

――容疑者は法廷で、裁判官に何を語ったのですか?

裁判官に対してこう言いました。「黙秘します」。

――えっ、どういう意味ですか?

「ふっふっふっ、犯人は俺だ、俺がやったのだよ。だが一切しゃべらんからな。情報をひとつも出してやらんぞ。しっぽをつかまえられるもんなら、つかまえてみい」。

――それって本人はどういうつもり?

簡単な話です。もし本人が犯人でないなら、いきなり逮捕されて非常に焦るはずです。カレーの毒入りは事故ではなく事件なのであり、誰か人間の犯行です。野良犬やクマのしわざではなくて。ぬれぎぬを着せられているのだから、動転して皆にわかってもらおうとします。

――どういう方法で、皆にわかってもらうのですか?

ペラペラと何もかもしゃべるのです。しゃべって、しゃべって、しゃべって。何しろヒ素を扱うシロアリ駆除業者の家だから、誤解されては困るからその部分の説明が増えるはずです。すると事実と合わない部分や、捜査員の想像を超えた部分や、なるほどと思える部分が転がり出てくるはず。捜査員の先入観との不整合が出てくる。表ざたになっているのだから権力側は細工もしにくい。

――本来なら沈黙という選択肢は、ないわけですか?

事件を含む時間帯に自分が体験したことを、できるだけ正確に、多く細かく並べ立てようとします。時には突然、紙と鉛筆を借りて書面に補足を記してでも、知っていることを全て吐き出そうとします。それが人間の心のはたらきです。

――言い忘れするのが一番怖いだろうし?

言いそびれたことが少しでもあると、それが原因でクロにされては困る。重罪への流れが先にできた後で新証言を出しても信用が落ちてしまって遅いからです。権力側の作文が先にばらまかれ、印象を先につくられてからでは遅い。なので裁判官や検察官や弁護士がたずねてもいないことまで、一言でも多くトークする気になるはずです。何でもよいから情報発信するはず。クロと誤認される確率を十分に下げるには、洗いざらいしゃべってしまう以外にないから。

――それなのに、本人が完全黙秘したのはなぜ?

立場が正反対だからでしょうか。しゃべればしゃべるほど、容疑が固まると自ら思っていたからでしょう。それ以外には考えにくい。口がきける状態なのに、徹底的に黙ってしまう宣言を故意に続けるなんて。疑われているのに黙り込んだら、まるで自分が真犯人だと言わんばかりです。

――でも、黙秘で自分を守ることも考えられないですか?

それは48時間の警察までです。「自分の犯行だと言え」と警察に強要されての沈黙なら一理あります。しかし判定するレフェリー役の裁判官にまで口をつぐんだら、いったい誰に本当のことを訴えるのでしょう。裁判所の質問にも答えない主義を貫いた時点で、司法関係者は「犯人はすぐわかった、簡単な事件だ」と結論したはずです。怪しい容疑者が「言いたくありません」と口をつぐめば、「事件に関係して、冤罪の線は消えた」と皆思うでしょう。その時点で責任能力ありの情報発信までしていて。私はここにロジックのおもしろさと、事実を隠せない怖いメカニズムを感じました。

――ロジックのおもしろさって、何ですか?

私は子どもの時、あるクイズが気に入りました。旅人が行く道が途中で二股に分かれ、一方が正直村への道、もう一方が嘘つき村への道です。正直村の住民は質問には正直に答え、嘘つき村の住民は嘘だけを答えます。でも、どの人がどちらかはわかりません。分岐点近くでこちらへ歩いて来る人に対して、許される質問はひとつだけ。何を質問すれば、正直村へ行く道がわかるか、というクイズです。

――あるたずね方をして相手が返事すれば、どっちがどっちなのかまでが、一瞬でわかるわけですね?

厳密に調べなくても相手の反応だけでわかる例が、スポーツのドーピングです。「あなたは禁止薬物を使いましたか、それとも使っていませんか」と、尋問する必要はないのです。たった一言で済みます。「出頭して検査を受けてください」の一言です。それを言うだけで真偽がわかります。

――選手が出頭しなければ体内の薬物を証拠隠滅できて、灰色決着で逃げ切れそうに思えますが?

出頭しない時点で、ドーピングをやっていることがわかるのです。何のために逃げ切る必要があるのかという理屈です。「選手が検査を受けなければ、ドーピングを示す物的証拠はないから無罪になる」式の教条的な原理主義は、人が行動するロジックであっさり消滅します。調べなくても済むどころか、たずねなくても答がわかる道理です。交通事故当事者の、ドライブレコーダーデータ提出拒否や消去も同じ。

――言われてみれば、自分がクロでないと知っていれば、検査を徹底拒否なんてしませんよね?

背景はオリンピックのドーピングセンターに、信じられるだけの権威があるからです。政治機関だと、検査側の策謀工作もあるから真偽は不透明です。権威の信頼があれば、選手が「前にも検査したのに」「身に覚えのないことを疑うなんて無礼な」と言っても、無駄な抵抗です。検査で潔白が証明できるのにゴネて妨害した時点で、自分がクロと知っているのです。カレー事件にこのロジックが生じました。調書づくりを妨害した時点で、早々白黒が決着してしまった。

――カレー事件では、殺す動機がないだろという声が多いですが、そこはどう考えますか?

「動機がないは、あなたの感想でしょ」になってしまいます。絵画と似て、動機は一過性でしょう。その時カッとなっただけだとか。日頃から町内活動に非協力的で、当日調理場で小言を言う人がいた報道があります。私は人生でそういう場面を何度もみてきたし、自分がそうであったこともありました。あおり運転殺人なども、動機はあいまいです。「詐欺師が、お金にならない殺人を果たしてやるか」という原理主義的な固執は、人間への理解が不十分だと感じます。絵画の鑑賞でも共通する、人への無理解がみられます。

――ところで、ヒ素の成分がカレーと家とで合わなかったそうですが?

意外にスパッと割り切れないのが、化学成分の分析です。美術の贋作を調査する時も、絵の具の成分を分析するにはノイズが混入し、確率的な判定になります。一般人は1か0か、全か無に割り切ろうとしますが、雨の確率50パーセントみたいな正しい分析は、あいまいさが欠陥に思えます。

――どのヒ素が使われたかの厳密性は、重要でないのですかね?

事件にヒ素が使われた。そして容疑者の家にヒ素があった。何種類もあったらしいけれど、すでに処分された状態。台所の流しに少し残留していたので、それのみ化学分析できた。事件のヒ素は、事件で使い切ったとも想定できるわけです。シロアリ駆除の業者宅なのだから。容疑者はヒ素を他人に食べさせて保険金をだまし取り続けていた。以上から、容疑者はいかにもカレー事件の犯人であるかにみえるのです。めちゃめちゃ疑わしい人です。

――その疑わしさを否定するための、唯一の方法が?

どれだけしゃべるかでした。しかし裁判所の判事に対しても、だんまりを決めました。一切しゃべらない、質問にも答えない「完全黙秘」。自分が知ることを何一つ、誰にも全く伝えないコミュニケーション断固拒否。その時、誰が犯人なのか自動的に収束しました。もし嘘を並べてやろうとするなら、すぐに矛盾して自滅するから無理。黙り込む以外に手が残されていない立場だったのです。弁護士が真っ先にこれはクロだと思ったでしょう。ロジックの怖さです。正直村と嘘つき村。

――黙秘したことを理由に、判決が左右されることに問題はないのですか?

そんな話とは違うでしょう。判決の正当性ではなく、真犯人が他にいる可能性がない理由の話をしています。利害関係のない私たち傍観者には、関係のない人がぬれぎぬを着せられた冤罪事件でない確証が欲しいところ。冤罪はあまりに恐ろしい現象だからです。今回は容疑者が一切しゃべらなかったことで、事件とは関係が深い人物だとわかりました。一度も話題に出なかった何者かがまんまと逃げ延び、別人が犯人にされた、そんな悲惨な展開ではなさそうだと。

――冤罪を信じる声が増える背景は何ですかね?

世界で日本だけが長いデフレ不況で不景気が続き、国民の思考が硬直になったと私は感じます。日本人は税金は財源だと嘘を吹き込まれ、増税で官公が潤い、警察署も儲けていると邪推し憎む人が多い。しかも出版社はデフレの中で、フェイク本を発刊して食いつなぎます。東日本大震災は人工地震で、日本を脅迫するほのめかしだとか。平成から嘘のハードルが低くなったと、私は国の財政を調べる間に痛感しました。消費税の五重の嘘に、延々とだまされ続ける国民の「失われた33年」(2022年9月現在)も同様です。

――消費税の五つの嘘とは何ですか?

「消費税の正体は法人税と所得税累進率の減税を穴埋め」「実は預り金でない」「実は税は財源ではない」「実は福祉にあてず国債と相殺して廃棄した」「実は直接税であり間接税でない」の五つの嘘です。ところが国民は、官製ポスターなどに洗脳されて抜けられません。嘘に満ちた美術鑑賞などかわいいほど、税に関する作り話がはびこり、国全体が破壊されています。日本だけ特別な事件が起き、零細な個人が廃業に追い込まれています。一角では音楽や美術関係の廃業も続いて。経済が落ちるにつれ、人々の思考が単純な原理主義にならされ、これは「貧すれば鈍する」の一面だと私には思えます。

――ところで、1948年の帝銀事件で犯人とされたテンペラ画家の平沢貞通は冤罪だったのでしょうか?

多くの資料を見たことがありますが、ケネディ大統領への銃撃事件と似て、後世の者は各論や映画に感化されるだけでしょう。美術鑑賞も似て、作品発表時のリアルタイムの真実に比べると、その後の真実は脚色が多いと推測できます。帝銀事件は容疑者が大きくぶれた点や進駐軍からの指示も謎で、私は真実に近づけません。当時の裁判に通いながら資料を精査した研究者でないと手が出せません。はざまに落ちた難しい事件に思えます。

――帝銀事件の一番の注目ポイントは何でしょうか?

彼は一カ所黙秘しています。事件現場から盗まれたお金に近い金額を事件直後に偽名で別銀行へ預金しており、出どころを黙り続けたそう。今も、どこで入手したのかわからないままです。彼の家族は冤罪を唱える先頭には立たなかったという指摘がありました、支援者の再審請求が通らなかった理由のひとつだとも、比較的新しく読んだ覚えがあります。再審請求が通って欲しい事件でした。

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