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電子美術館のQ&A

133 ロック音楽の芸術性と演奏テクニック

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2022/9/17

――絵をかく腕と芸術性は、どこまで関係があるのですか?

技術力と芸術性は関係あるようで、ないようで、しっぽがつかめません。テクニックといえばロック音楽で時々出る話題があります。世界的ギタリストのギター演奏が意外にショボいという声があります。往年の名ギタリストが弾いてみせた動画に、読者が疑問を投げかけます。

――前言っていた、スターが意外にへたに聞こえる?

「あれれ、たいしたことないぞ」。今どきはギター指導教官やアマチュアのギターマニアでも、往年の名ロックギタリストよりテクニックがあります。速弾きどころか、両手同時で音数を倍増させるなど、新技法も多彩です。1970年頃からロックの歴史的名盤を多発したビッグスターたちよりはるかに上手な演奏家は、日本にも増えているようで。

――それと比べ、歴史的スターがかすんでみえる?

「あの程度の演奏なら、こっちがうまいね」「何であれが巨匠なの」て感じの意見が続々と出てきます。美術と違い音楽では、定評と内容が逆だったりはまずないのに、これはどうも逆になっていてどういうことかと。

――時を経たからではないのですか?

まあ、その言い方はあいまいです。昔はその程度でも高度だったという「時代変化」ともいえるし、当人が歳をとったという「個人変化」ともいえるし。でもどちらであっても、なぜ今の達人たちが今のスターになれないかです。

――テクニシャンでも、感動までいかないからとか?

そのあたりが模範回答でしょう。芸術性とは違い、技術力は後進たちが模倣したり丸コピーできるから、アドバンテージに有効期限があるのです。それもあって、技術力は感慨や共感共鳴と関係しないことも多い。技術イコール音楽性とはならないのは、誰もが覚えがあるでしょう。音楽性の奥行きは深いものだという体験は、広く一般化しています。

――心を込めた演奏とは、また違うのでしょうか?

心を込めれば芸術に近づくという、その相関関係も怪しいでしょう。思いが強ければ、思いの強い作品になるでしょうが、芸術とはつながりません。心を入れても芸術性が宿りにくいせいで、いつの時代も画家の多くが悩んできたわけで。

――現代のプレイヤーたちは技術バカになっているとか?

一般に楽器の超絶テクニックの内訳は、速さと正確さです。指が素早く確実に動いて、ミストーンを出さず、精度が高い演奏技術の意味です。それで、アップテンポがとても多い。若気の至りが多い。これはクリエイティブな次元とは別です。特にロックギターは粗雑な面も個性になるから、精度が高いだけでは得点にならないものです。ローリング・ストーンズもそうで、難しい技術やバカテクで売ってはいません。

――ロックで芸術性を問うのは、何か抵抗もありませんか?

「ロック音楽に芸術性なんてあるの」という疑問も出てきそうです。回答は簡単で、全ての表現物には「表現の裂け目」が生じる余地があります。芸術性の証明を表現の裂け目に置けば、ロックも外れないはず。ギャーンと濁ったディストーションサウンドで泣きのフレーズを奏でれば、表現の裂け目はさっそく生まれています。芸術は、高尚さとは違う次元に咲きます。ロックよりクラシックの方が芸術的に思えるのは、芸術とは何かを誤認していると起きやすい。

――技能と芸術は別、の言い方はすぐに思いつきますが?

とはいえ「テクニックは芸術性じゃない」の命題は、誰かが言ったとたんに直ちに誤解される議論です。テクニックの延長に芸術が花開くという期待も、実際には裏切られます。

――テクニックを芸術とみる、古い解釈が今もあるとか?

たとえテクニックと芸術を別と認識しても、テクニックを極め、積み上げた先に芸術性が生まれ付加される、という筋書きを信じる傾向が日本では強かった気がします。次のよくある言い方に集約されてきました。「ピカソの若い頃の写実画はすごかった」。

――技術の先に芸術ありという因果関係を、ほのめかした言い方ですね?

ピカソを巨匠だとする根拠を若い頃の写実具象の腕とみて、具象の上に開いた抽象だとか、あるいは抽象に進める資格を得る意味で、具象技術をとらやすい。テクニックと芸術性の関係にナイーブな国民がいます。抽象画を見てもわからない場合に、具象のピカソを支持し「ピカソのすごさをわかった」という話の進め方、落とし方にしやすい。

――でも、ピカソが世界一の具象なわけないですね?

ピカソの具象デッサンは、けっこう歪んでユニークです。写真と見まがう精度でないのは、図版でよくわかります。写真的な写実画を描く腕達者は、当時も後世も大勢います。

――名画の巨匠はきっと超絶テクなのだと、思い込みたい心理ですか?

抽象がわからないので、若い頃の具象にさかのぼる試みといえます。「具象の基礎があるから抽象ができた」「抽象が許される資格を具象で得た」の物語へ持って行きたいわけ。最近のネットでは、セザンヌは写実の達人みたいな嘘話にメイクされています。実際のセザンヌは写実の腕が人一倍乏しく、タブローもスケッチ画も才覚不足があらわです。人の手を描くと不器用がもろに目立ちます。空間を立体的に描画する技術がさっぱりで、苦手なデッサンを放棄して見えるのがセザンヌです。

――それでか、セザンヌだけはわからないと告白する美術ファンがいますね?

「腕達者な技能で芸術が花開いた」式の筋書きは、セザンヌには全く当てはまらないからでしょう。低い技能で芸術性を盛り込んだのがセザンヌです。セザンヌのリザルトは縁故で頼み込んだ以外の公募展で全て落選しました。親の遺産でつないで20世紀まで生きたので、金欠で倒れた後輩ゴッホとは明暗を分けました。

――そのセザンヌまでが、写実の達人にでっち上げられるのも、鑑賞側が芸術が苦手だからでしょうか?

テクニックと芸術がごっちゃなので、つじつま合わせで事実を曲げる必要が生じます。大芸術家は皆テクニックがあったとの結論ありきで、「基礎技術を磨けばいつか芸術が花開く」という指導要領になっています。これは日本の美術市場が小さくなってしまった原因とも関係があったでしょう。写真とみまがう絵画を最高の芸術と位置づけてきたせいで、鑑賞客たちは鑑賞不能になり、古典だけを相手にする始末。

――現代人のテキトーな思い込みに合うよう、歴史事実を変更したようなものですね?

日本に「基礎技術あっての芸術」という、戒律のごとき強い共通認識があります。実際の美術史では、基礎技術がだめで最初から芸術になっているケースが多く、それは音楽のビッグネームにも多いと感じます。教科書的に演奏できず、変則的なオリジナル技法で勝負した大物が目立ちます。

――名声をみてから、よっぽど高い精度の写実だろうなと、普通は見込んで構えますから?

人間が芸術性に突然目覚めるのは、むしろ荒くて雑で粗野で不ぞろいな作品です。何かが破れ、違和感が大きい作品です。内容に表現の裂け目があらわな作品の方に、別世界の感慨が起きます。異端に開眼するわけです。突然「あっ、こういうことだったのか」「見方が逆だったんだ」と、目が覚めるのです。

――そこはやはり、哲学的な説明になりますね?

世界中の大勢の人々が、「この音楽は名盤だ」と感じる時、その根拠は何か。「感動したかどうかだ」「好きか嫌いかで決めりゃいい」という手っ取り早い結論も、実は違うのです。時間をかけて聴いて気づく表現の大きさや、浸透力や内容の濃さを言っています。完成度は精緻とは違う。技能の視点で突き詰めていっても、芸術は逃げてしまいます。

――ビートルズなんかはどうなんでしょう?

一曲ごとに簡潔に音がデザインがされ、特別繊細でもないからこそ味が濃いといえます。音数の少なさも注目点です。ギターのオブリガートも厳選した少ない音数で、仕上がりのバランスがよい。彼らは偶発性も大いに役立てましたが。

――美術でも、手数を減らして感動を高める方法がありますね?

私は割と手が器用でしたが、芸が細かい微細な絵には向かいませんでした。多少雑な方が浸透力がある気がしたからです。細かさで目を引く作風へ行くのは、目で見てブレーキがかかりました。見せ場が繊細さに片寄った作品に魅力を感じず、そっちは脱線だと思ったのです。

――実際に世に多い指向は、細かい手作業で魅せる作品だと感じますが?

「よくまあこれだけ細かい作業を、長い時間続けましたね」と「忍耐強さ」がウケる方向は、誤解された芸術のイメージに合うからでしょう。「それは芸術と違うだろ」との感覚は、早い段階でこちらにもありました。まだ確信がない頃から。

――ロックも、16分音符は耳を通り過ぎてしまうし?

私は絵をかきながら「芸術とは何なのか」を探し求めたりしませんでした。「芸術とはこういうことだ」と先に思いつき、それを絵に表そうとしたのです。しかし芸術の真意を言葉でうまく説明できず年月がたちました。本を出した頃に「芸術の特徴は表現の裂け目である」と、やっと言葉にできました。

――芸術は、そもそも創造でしたね?

前例がないのが芸術の特徴です。ところが芸術は創造なりと言ったら、今度は創造の意味が曲げられてしまうのです。たとえば非常に美しいバラを描けば、美しさが創造なのだというように話がそれます。本来はオリジナリティーの概念なしに、芸術は説明がつきません。ロック音楽も同じで、まずはオリジナル作品であることが決め手です。つまり本当は作曲で巨匠の座を得たと、私は考えます。ビッグネームは演奏よりも、作曲能力で手に入れた栄光ではないかと。

――ロックの名盤は、リーダーかメンバーの作曲が大半だというパターンがあるようで?

ロック界の業界リーダーやスターは、ほぼ全員が自作自演です。オリジナル曲をオリジナル奏法で演じます。既存曲をテクニックで魅了したわけではなく。それどころかジャンルを拡張した先駆者ぞろいです。芸術は個性でもあるのだから、ティーン・エイジャーたちが曲想の「違い」に着目し選択しているロック音楽は、芸術作品の宝庫です。芸術は高尚だという前提がロックの位置づけに影を落としているわけです。評論家の渋谷陽一は芸術の語を使わないで、ロック音楽の芸術性を語る言葉を並べてきたと最近気づきました。音楽は耳を引くのが第一なのも、きっと妥当でしょう。

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