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電子美術館のQ&A

131 オバマ大統領はヘイトしない差別を受けた

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2019/10/11

――差別は、正直言って盛り上がらないテーマですが?

私も差別に関する話題を、普段からあまり取りあげません。そもそも差別という言葉に、よい印象があまりありませんし。私が差別を話題にする時は、差別をなくそうという文脈ではなく、差別の構造は単純ではないぞ、裏があるから気をつけようという文脈です。

――今の世の中は、差別を訴えた者勝ちになっている気がしますが?

小学校の時の担任は、口の悪い女の先生でした。皆の前で一人の生徒に向かってこう言いました。「君は情緒不安定児だと、教育委員会に報告しようかな」。その生徒は実際に風変わりで、小学生と思えない演説ふうの脚色したしゃべり方と、奇妙な論法の立て方でした。そして自分が悪く言われると、「差別だー」が口ぐせ。本気の訴えではなく、言った者勝ちのギャグ半分だと私は感じましたが。

――差別の語は悪用されやすいとか、利権があるのだとは陰でささやかれていますが?

変形した差別は気づかないものです。変形した美術が理解されにくい現実に照らし、差別も理解しにくいものだと容易に想像がつきます。 差別認定は美術の評価と似て、恣意的で非論理的で、公平公正がゆらぐ。しばしばパワーゲームになるのです。例えば、Aさんが犬の肉を食べるとします。Aさんの犬食いの習慣を、友人Bさんが後で知り、Aさんとのつきあいをやめたとします。AさんとBさんのどちらが悪い人かを考えます。

――犬を食べるなど野蛮な風習のAさんが、一番問題だと思えますが?

犬は世界の動物愛護の筆頭といえます。犬の虐待が犯罪になる時代もあったし、今でも地域によって罪なのかも知れません。犬は1万6千年ほど前に、タイリクオオカミから分岐した進化論の裏づけのひとつらしく、狩猟などで人と関係して生きるようになった家畜です。人の気持ちを読むと言われ、表情があります。犬に人間的に映る行動が多いのも、長いつきあいのせいでしょう。そんな愛される生き物への虐待は生命の軽視につながり、犬を食べるのは悪だとは世界的に同意があることでしょう。

――友人が離れたのも、Aさんの自業自得でしょうから?

しかしBさんは、犬を食べるAさんを文化の違いで差別したとも言えます。食は文化であり、カタツムリとかワニとか、タコとかゲテモノ食いは世界に多いし。食用の犬も何種類かありました。寛容のないBさんが差別主義的な人だとも言えます。Bさんが人間レイシストなのか、Aさんが動物レイシストなのか。真偽は証明不能です。しかし私たちは悪いのがAさんかBさんかでそれほど悩まず、スッと反応するのかも知れません。そこがむしろ問題なのです。

――決め手は、人物への好き嫌いですか?

よくあるのは、Aさんの国籍と、Bさんの国籍のチェックです。場合によっては宗教も調べるでしょう。そして、どちらが嫌いかの結論ありきで動きます。その結論へ落とすために逆算して、理由をこじつける場合が多いはず。逆算している自覚はない。この思考の順序を、私は子どもの時から嫌な世界だと思ってきました。善悪の決定に際して、どちらに味方するかが前もって決まっている裏が多いのです。政治家への批評でも多い。その心のはたらきに気づき、善悪や正邪の判定は気まぐれな水ものだと心得てきました。

――どっちが差別かわからない時もありますから?

君は差別的だと言う時、君という人物を差別的にみる話者がいます。偏見が強ければ強いほど、逆の偏見を持つ他人が鼻につく相対性です。単なるエゴのぶつかり合いなのに、我が正当性を早い者勝ちで奪い取る威嚇用の武器として、差別の語が使われていることに気づきます。価値の相対性を利用し、絶対的な正義は自分だとしてカギをかける作戦。それが最初の「差別だー」「差別ガー」であり、それをギャグにしてみせたのだと当時感じました。

――差別だと先に言われた方が、イメージダウンで負け戦ですね?

今ここでは、差別問題ではなく、差別認定問題を考えます。こじつけ認定を押し通す最終的な圧力は、社会的な権力の場合が多いのです。例えばテレビ評論家の普段の理念からみて、反対するはずの案になぜか賛成する時があります。後で、賛成派から仕事を得ていた義理が発覚したり。ワイロ効果です。こうした利害関係が、差別認定でも当たり前のように優先するはずです。

――何を差別とみなすかの基準に、えこひいきが混じるのは誰しも体験しますから?

カー雑誌の新車レビューを皮肉るギャグがあります。ドイツ車と日本車の評論のおもしろ比較です。ドイツ車への評価はこういう文章です。「この車種は足元を十分固めてあるので、カーブでロールが少なくがっちり安定し、この信頼感が安全につながりそうだ」。

――車の硬めのサスペンションを評価した、よくある論調ですか?

一方、日本車への評価はこうなります。「この車種は足元が硬いせいで、ゴツゴツした乗り心地に感じられるし、路面の細かい段差を拾ったショックも伝わってきて、どうも高級感に欠けている」。

――性能が全く違う車に聞こえますね?

実は同じ性能です。どちらもショックアブソーバーと呼ぶ、シリンダー型の衝撃吸収パーツがハードぎみに設定してあります。急に押してもフニャッと縮みにくく、瞬時に車高が下がりにくい。ハードサスには利点と欠点が同時に生じます。なのに一方は効用を並べてほめて、他方は副作用を並べてけなしています。あばたもえくぼのひいきです。この調子でドアの厚さや、ハンドルの重さやエンジン音などを、ドイツ車を良く書いて日本車を悪く書いた一覧がネットにありました。アート的なおもしろさがあります。

――車の評論家は、なぜドイツ車を持ち上げるのですか?

洋モノ礼賛でしょう。舶来品へのあこがれは、長く上級国民のステイタスでした。戦前の日本製品は実際に粗末でした。日本製は優秀だと世界的に認識されたのは、1980年代からです。アメリカ人が日本車叩きを宣伝したから、「日本車は世界一か」というイメージが逆に広まったのです。アメリカではポルシェ911より、マツダRX−7の方が少し高額でした。しかし日本では昭和末期の国際化とリベラル空気でも、外車はハイソでした。その感覚は私にもあり、国内に舶来品至上はかなり長く残りました。

――採点や裁定が結論ありきになっていることは、色々な分野で多いみたいで?

カーデザインへの好悪以前に、生産国への好悪が先行し、理屈を後づけする思考です。ドイツ車はほめる前提、日本車はけなす前提。車に限らず、賛否の結論が固定している例は多いのです。理由があっての結論ではなく、文中で理由と結論がずれていたりして。差別認定の裏構造を暗示します。学校内でも表社会でも、いじめの構造が公然と通り定着しています。AがBを叩けば自由表現とみなして、BがAを叩けばヘイトとみなすような、公平性なきレイシズムの掟が現実によくあるわけです。差別を多々糾弾して回る著名人も、この部分には鈍感か不正直です。

――物ごとを評価する説明が既定路線すぎて、白々しいことも時々ありますから?

絵画の評価も似ています。赤やオレンジ色を多用した、赤々した色の絵を見て、「燃える情熱が素晴らしい」と好意を示すか。「暑苦しくてうっとおしい」と嫌悪を示すか。純粋に絵だけを見て決めないことが多いのです。その証拠に、私たちは絵が現れても評価を差し控えて、まずは続報を待つはずです。作品評価がどうなっているかを見届けた後で、自分の態度を決めることが多い。作品内容でなく、別の確かな裏づけを求めるという。勝ち馬に乗る傾向です。私もその例外になるわけではないのです。

――その裏づける情報に、権威主義的な理由が簡単に入り込みそうですね?

そうした上意下達によく合う展覧会が、公募コンテスト方式です。審査した上で当選作品のみ展示され、お客は展示物の全てを祝福すれば済む仕組みです。どれが優れものかは受賞ラベルが貼ってあるから、それを称賛して事足ります。この事大主義も、上が偉くて下は下僕だと決めてある差別行動の典型的な表れ方でしょう。

――作品づくりに差別を利用したりも、できませんか?

例えば耳が聞こえない人が作曲した交響曲というふれ込みは、ハンディキャップへの同情心を利用します。障がい者をふびんだと思う人々の哀れみをかきたて、その予備知識を通して聴いた曲は、特別に優れた名作に感じるという、心理作用を利用します。これは身障者差別の話ではなく、芸術のようなわかりにくいものほど、作品にゲタをはかせて説得力を強める、その増強効果があまりにも大きいという、情報化時代の隠れた商戦です。謎の記憶喪失のピアニストという、イタリアであった作り話も思い出します。囚人の絵に特別なものを感じるのと同じ心理です。

――差別は堂々と大規模にやれば、かえって気づかれない気がしますが?

アメリカ合衆国の歴代大統領のうち、オバマ大統領は最も差別されたと私は感じました。オバマ大統領はアメリカ初のアフリカン・アメリカンで、そのせいで彼は特別に激しい人種差別を受けたと映りました。

――でも、オバマ大統領はマスコミに祝福されたし、特に叩かれてもいませんが?

そこです。彼が共和党以外からは特にやり玉にあげられなかったことが、差別にもみえます。叩けば人種差別だと誰かが言い出しそうな不安が、報道各社にあったからでしょう。無風で終わったのは、彼にからむとまずいとマスコミが自重したからでしょう。人権団体を敵に回さないよう、マスコミは距離を置いて気づかいました。この気づかいが差別だとは、人は感じないものです。

――悪口を言うだけが、差別ではないのですね?

私たちは、冷遇やいじめなら差別だと感知しますが、優遇やほめたたえの差別もあります。ほめ殺しの話とは違います。上級国民のAT車踏み間違い事故みたいに、優遇は差別と感じないのが普通。オバマ大統領の当選後のスピーチに、ノーベル平和賞が授与されました。「今後に期待するような政治圧力となる顕彰は誰のたくらみか」と、テレビや新聞は掘り下げずじまい。「差別だー」の逆襲を恐れたのでしょう。一方でオバマ大統領に味方する側も、差別を逆に利用していると思われたくなくて、逆襲は無理でした。こうして全員が動きをとれない停滞と空白が続きました。

――オバマ大統領の次のトランプ大統領で、アメリカ国内に蓄積した問題が噴出したようですが?

トランプ大統領は、ポピュリズム批判のかたちで差別に巻き込まれました。ポピュリズムの語は、差別的な攻撃で使われてきた単語です。トランプ大統領への支持は、ホワイトカラーでない白人層が多い。日本よりリッチな暮らしでも、アメリカでは低所得らしく。アメリカの東海岸や西海岸より、中部や南部に多いそうです。

――メキシコからの不法移民で、所得が下がるゾーンの人たちでしたね?

その層に支持されたトランプ大統領のことを、アメリカの報道は「ナショナリズムを利用したポピュリスト」と攻撃しました。日本の報道各社も、トランプをポピュリズム扱いしています。これは人、物、金の国境を消せば利益になる側が、大衆の自己防衛行動を封じる意図です。ポピュリズムなる語の使い方で、子どもの頃聞いた標語を浮かべます。「あわてる乞食はもらいが少ない」。あわてたら損する警告でなく、行動が早い者をけん制する目的で、出遅れた者が使う悪口です。フットワークの速い者に、あわてるやつはアホですと言葉を投げて阻止する策略です。ポピュリズムの語も同様に、大衆の言い分に釘を刺して阻止する策略です。

――ポピュリズムの語からして、民主主義の否定と同じ意味ですから?

ポピュリズムは、上級国民が下級市民を制圧する殺し文句や、愚民ヘイトの差別用語です。下級の方が人数がはるかに多く、しかし投票権は平等で大勢力です。そこで上級国民は下級市民の一票は軽いとのイメージを広め、階級闘争を有利に進めます。大統領選挙のヒラリー対トランプは、上対下の富の奪い合いの内戦であって、絶対的な正義はない。自分の利益を公の利益に見せかける大会。アメリカ民主党の支持が、しだいにナショナルの労働者からグローバルの富裕層へ移った変遷の事情があります。グローバル主義側は政府財政出動を食い止め、先進国をデフレで貧困化させて支配力を高める思想潮流です。

――ポピュリズムの意味は、人によって違いそうですし?

ポピュリズムの原典はフランス革命でした。民主主義こそがポピュリズム同然であり、ポピュリズム否定ならば独裁制。アメリカのテレビ番組は格差差別が平気ですが、日本でも人の優劣への執着がみられます。19人の障がい者を惨殺した、相模原の襲撃事件もそう。容疑者は予算不足の日本経済を救おうとして、労働人口から外れた者を口減らしして社会貢献したつもりです。日本の財政危機が、上級国民の狂言だと容疑者は知らなかった。国にある貨幣プリンターでお金を発行して済む話だという知識がない男が、働けない者を消して国費の無駄を節減しようと、功を焦った差別行動でした。動機は良心と責任感でした。

――カネで醜い争いが起きる時代だなと、さすがに普段から感じますが?

突出した利己主義の暴走と、金欲が肥大した俺様ルールで弱者差別に力を入れる。世界がそうなった心的な原因は、ベルリンの壁崩壊に始まる社会主義国の解体でした。社会主義は職業の貴賤をなくす理念ですが、新自由主義経済は「職業に貴賤あり」が暗黙の諒解です。日本で近年増えた言い方は「介護職など底辺は、奴隷扱いに不満なら使う立場になればよいし、何なら日本から出て行けばよい」。日本人が人権侵害をするのもされるのも平気になった背景は、冷戦後の自由経済です。デフレ不況下で人間を間引きする一種の優生思想。実際に今、お金持ちの主張を人生の教科書として慕う人が多いはず。カネへの愛。

――美術は、いかにも差別で回る業界に思えますが?

私が使う差異化の語は、差別化というバブル時代の流行語を言い換えたものです。他社より特徴的な性能やサービスの意味です。美術なら個性的な表現が該当します。個性は正面切って作品に値打ちを与える要素ですが、個性嫌いの人は実に多くいます。美術に個性はいらない、目ざわりだという声は昔から多い。日本で特に目立ちます。作品の好悪という感情は、差別感情と近似しています。現代の芸術創造は、差別される側に回る宿命です。人望の厚い高貴で立派な人格者たちから差別され、ヘイトされ、散々に馬鹿にされるのが創造の立ち位置です。

――画家の存在自体が、差別されているような気も?

ゴッホを日本で売り出す切り口は、狂気の天才画家でした。日本人は芸術がわからない前提だから、わからない理由が必要になります。「芸術家は精神的におかしくて、僕は健常者だからわからなくても当然」という落とし方が好まれます。美術と無関係の人の声で、「ピカソって、あの頭のおかしい画家でしょ」と聞くことが時々あります。これは精神病理への差別の話ではなく、理解をめぐり自尊が噴出するメカニズムの話です。差別の裏に誰かの自尊心や負けん気があると、私は感じます。近年急増した「マウンティング」が現代差別の多様化であり、その下地はデフレ不況です。

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