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電子美術館のQ&A

122 空中浮遊術、STAP細胞、曜変天目茶碗

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2018/7/15

――カルト宗教による地下鉄サリン事件で、法務大臣が動いたニュースがありましたが?

生物化学兵器で民間人が民間人を殺りくしたテロは、世界で日本だけで起きた記録的な事件でした。治安がよくないとされる国でも、これほど異常な事件はなかったそうで。信教の自由を守るだけの日本と違い、フランスやロシアでは教団の存在が違法で、教えも違法とされているほどで。

――教団が無差別テロを実行した理由は、いまだ解明されずに闇の中だと識者は言いますが?

ピカソの絵がああなった理由や芸人の離婚理由さえ、人類は解明できていませんから。関係が深いのは、1990年の衆議院選挙だと私は考えます。教祖が国会議員に立候補した動機は、死体遺棄と殺人が5名ある内情の守秘でしょう。国会議員は国会の承認がないと逮捕されない特権があり、不法行為が明らかでも替え玉でのがれやすくて、予備軍にはおいしい副業です。しかし、教祖と幹部26人は落選しました。落選が転換点だと多くが指摘し定説になっていますが、同じ選挙説でも私の視点は少し違います。

――自分たちを理解しなかった国民を逆恨みした、報復のテロだったのですか?

それも少し違うのです。目立つ伏線がありました。選挙後に地方都市の私鉄駅で、教団のチラシが配布されました。新聞社の号外に似たカラーのビラです。当時私がいた企業の新聞コーナーにも来ていました。全て読みました。

――落選後に教団が配った広報チラシに、どんなことが書いてあったのですか?

「選挙で自ら出口調査などを行い、尊師が当選確実だと数字でわかっていた。だから全員の落選はおかしい。当局が開票で細工したことは明らかである」。そういう訴えでした。日本国政府への抗議というよりも、日本国の悪事を国民に知らせる目的のチラシにみえました。国民を味方につけようとしたのです。

――そんな団体は、相手にするものではありませんね?

少し異論があります。私はそのチラシを読んで、かなりいやな予感がした覚えがあります。そのことを周囲の人とも話しました。力が入ったチラシでしたが、国への悪口を並べたわけでもなく、言いすぎてもいません。真面目な論調だからかえって不気味でした。アートバブルが終わり2年程度が経過した消費バブルの好景気真っ盛りの1990年でしたが、この話はこれで終わらない気がしたのです。

――国から宗教弾圧されたと訴える陰謀論に、国民は耳を貸さなかったでしょう?

当時は微妙でした。そもそも信者が激増して注目をあびて、話題の宗教団体でした。国民の多くは新興宗教にいかがわしさを感じましたが、一部のリベラル派は新鮮味に魅了されました。書店に教団のコーナーが設けられ、平積みの教祖の本が大売れし。マスコミは当初は教団に軽い共感を持ちました。ヨガ教室から出発した教団は、宗教的な見識もありオープンでもあり、イベントが市民の関心を引きつけていて。特に印象に残るパフォーマンスは空中浮遊術でした。

――教祖が空中に浮き上がった、あの写真ですね?

人が宙に浮いている写真がいくつか公開され、会誌だけでなく書店の写真雑誌などにも掲載されました。念力を使って宙に浮くことができるという、修行の成果を宣伝する写真でした。「信心と修行により、この程度は皆さんにもできます」と説明された超能力の一種でした。これが、テロ事件全体で大きい役割を果たしたというのが私の見方です。

――オマケの余技みたいな空中浮遊術の、何がそんなにやばかったのですか?

選挙の頃、識者が教団を批判する文はこういう感じでした。「教祖が本当に空中に浮くかはともかくとして」「修行を積めば空を飛べるかはさておいて」。いずれも、超能力を否定はしていません。さりとて肯定もしておらず。あいまいにぼかした、ゆるい言い方でした。空を飛べる超能力を、軽くかわしてスルーした書き方でした。こうして空中浮遊を棚上げした上で、教団の信者獲得作戦を批判したのが、当時の論者たちのペン攻撃でした。

――やはり空中浮遊術なんか、当時は誰も信じなかったのですか?

私の印象では、識者たちもおそらく半信半疑だったのです。幽霊やUFOの場合と同じ態度です。「まあないだろうけど、ひょっとしたら超能力は本当にあるかも知れない」「空飛ぶ特別な人も、例外的にあり得るかも」と脈を残した感覚で。空中浮遊術の可能性を信じる気持ちが、識者たちにわずかにあるのかなと、当時の私は感じていました。

――スルーしただけでは、ギブアップにも受け取れますね?

ありもしない超能力を一笑に付したのか、あると認めた上で別問題として相手にしないつもりなのか。そのあいまいさが国民へ危ないメッセージを送ると、私は感じました。ネット時代に、人の心理がどう転ぶかがわかるようになり、次のようなフォーラムがたいてい出てくるからです。「おい、みんなよく読め、誰も空中浮遊がないとは言っていないぞ」「ということはあるということかな」「ない証拠がどこにもないし」「つまり本物だってこと?」「そうでしょやっぱり」「僕は最初から信じていたけど」。

――誰も明確に否定しないせいで、気持ちがゆれる国民が出てきたわけですか?

幽霊やUFOと同じです。ないだろうけれど、ひょっとしたら、あるかも知れない。「一億円をあなたにあげますので、手数料を先に振り込んでください」という呼びかけに、多くの人が何百万円も振り込んだ事件が近年ありました。ひょっとしたらと考える国民は意外に多いのです。そうなるのは、人間には願望があるからです。「厳しい修行を続けた果てに宙に浮く人がいても、僕はおかしくないと思います」「人間の可能性を僕は信じる」「科学はもう信用できないし」「常識をかたくなに信じるのは人間が小さいから」「既成の概念をくつがえすコペルニクス的転回が楽しみ」。超能力を願う人々の気持ちを浮かべて、私はいやな予感でした。

――選挙前の頃、時代の空気はどんな感じでしたか?

スピリチュアリズムの流行です。1970年代にはスプーン曲げなど、手品を超能力と信じる流行がありました。80年代は脳の変調を超能力とする流行へ移りました。自分探しの旅だとか、自己啓発セミナーとか。薬物トリップにもつながっていく流れで。惑星グランドクロスなど、天文学の珍現象による天変地異がささやかれた頃で。たとえば世紀末の世界崩壊を予想した『ノストラダムスの大予言』(1973)。人類は21世紀を迎えずに滅ぶとする大ベストセラーで、私も80年代のシリーズ続編に次々と目を通しました。

――あの写真の空中浮遊術は、本当の出来事ですか?

トリック写真です。方法はいくつもあります。「飛び上がった人を高速シャッターで撮影」「トランポリンで浮いた人の下方をカット」「人を吊ったピアノ線を粗めの印刷で見えなくする」「鉄骨アームを身体の後に隠れるよう撮影」「人を支える台をエアブラシで消し再撮影し引き伸ばす」。フィルムカメラの頃なので、ペイントソフトでデジタル合成写真を作る時代はまだです。そして当時の識者たちは、私のように明言はしませんでした。「空を飛べたらすごいですね」と、部分的に信じているかのような言い方がとにかく目につきました。

――でもまともな大人なら、説明がなくてもトリック撮影だとすぐにわかるでしょう?

わかっている者がわかっていない者をあざ笑っても、解決はありません。子どもはわからないし、子どものような大人もいるし。自己責任は過ちの元です。何しろ誰もはっきり否定しないから、「全くあり得ない話でもない」「可能性ならある」という最終結論に向かいます。私はそこを気にしました。次のように考える何者かがきっと出てくるだろうから。「証拠写真があるから空中浮遊はたぶん本物だろう」「写真は真を写すしね」「超能力は本当はあるのに、あったら都合が悪い人がいて、ないことにしたいわけね」「そんな老害は死ね」。

――教団が狂信されない限り、そんな支持者はまさか現れないでしょう?

国民に教団の客がけっこういました。教団のラーメン店や、AT互換機のパソコンも売れていたし。Windows3.1を違法コピーした格安だから、パソコン雑誌ではお買い得の評価を受けていたし。当時のカタログがネットにも出ていました。CPUが386SXから486DX4など、古い頃に。Pentiumの前の時代でした。

――教団に対して、国民は賛否両論だったのですか?

テレビに出る評論家のある一群は、宗教に差別的な目を向ける日本人に反省を促し、排他的な島国根性をたたき直してやろうと、リベラル表明も込めて教団を強く肯定しました。ある一群は、頭脳と行動力を持つ教団に敬意を表し、凡人の嫉妬はやめろと逆襲しました。教団は既成の概念を超えた先進に映り、文明にもの申す反骨精神が、ある層の溜飲を下げさせたのでしょう。マスコミも視聴率目当てで、バラエティー番組にゲスト出演させただけでなく、深いつきあいを持ったプロデューサーもいて。

――少数が味方して国民が割れていた、そのスキを突かれた毒ガスのテロだったのですか?

教団対国民という対立の構図ではなかったようです。似た現象が、25年後のSTAP細胞でした。STAP細胞事件の第二幕は、バイオテクノロジーの実験結果を示す証拠画像が偽造されていて、ネットで発覚した騒動でした。これもトリック画像から始まりました。「空中浮遊術ありまーす」の写真が、「STAP現象オーライ」の写真に交替したかたち。

――空中浮遊の写真とは違い、STAP細胞の写真は序盤に偽造だとばれましたが?

誰がパソコンソフトを使って偽造したかは、ぼかされました。その後国民が割れた、あの長引いた闘争に注目できます。「STAP細胞は実在せずウソだ」と偉い人たちは断言していません。「空中浮遊術は実在せずウソだ」と偉い人たちが断言しなかったのと同じで。「あるのかないのか、果たしてどちらでしょうか」という気の持たせ方が、だらだら続きました。具体的な事実がないまま、引っ張って、引っ張って。

――STAP細胞はあるかないか、今も国民はあいまいな気分ですよね?

空中浮遊術を何となく信じたい気持ちと似て、国民はSTAP細胞を何となく信じたい気持ちでした。ひょっとしたらあるかもという期待を、どこまでも引きずりながら。するとやはりこう言い張る者が出てきました。「STAP細胞は本当はあるのだけれど、あったら都合が悪い人がいて、ないことにしたいわけね」と。「女にノーベル賞をとらせては悔しいから、老害の科学者たちが手を結び妨害したわけね」「日本人の嫉妬はすごいわ」「この国に未来はないわ」と。

――どうしてそんな展開に向かって行ったのですか?

灰色の決着に、国民が耐えられないからです。情報不足で気持ちが壊れた、ある種の心理暴走です。人間は心が強くないから。「あるかないかは言わなくてもわかるでしょ」のあしらい方だと、人々は願望で妄想をふくらませます。日頃の思いを叩きつけてウサを晴らそうとしたり。一部が先鋭化したりも。「科学の常識にこだわる日本人は打倒すべきだ」の空気に、情報弱者が反応した事件でした。宗教が超能力を言い出せば、テレビはタネ明かし番組を繰り返して、オカルトのカルト化を防ぐ安全保障が必要です。

――現実のマスコミは、幽霊やUFOのように思わせぶりに真相をぼかしたわけですね?

「空中浮遊が絶対にないかはわかりません」「ないとは言い切れない」式の部分否定に世論をとどまらせたから、事実上は教団の主張を認めて、追い風を送ったかたちです。国ぐるみでカルトに一目置いた反省点でしょう。「世界は広いから一人ぐらいは飛べるかも」という落としどころが、「わしがその一人じゃ」という教祖の言い分を裏づけ、つじつまが合ったわけです。本物の神の可能性もあるという話に、日本人が何となく向かった末に、神の特権が行使されてまとめて大勢が殺された化学兵器テロでした。日本国民が神扱いして育てた結果だったのです。

――だとしても空中浮遊術は、教団にとってそこまで大事なことだったのですか?

罪状では教祖は27人殺したそうです。次に多いのは26人殺した幹部です。その幹部は非常に行動力がある秀才の男です。元会社員ですが、空中浮遊術の写真を見て強く心を打たれ、感動で胸ふくらませ教団に駆け込み加入しました。つまり空中浮遊の写真は、テロリストの精神的支柱であり、心のふるさとでした。魂をゆさぶられた貴重な体験を胸に、教祖を正しく理解して正道を悟った彼の目には、空中浮遊を頭から信じない庶民は消すべき無駄な命に映ったでしょう。その熱い思いは、調書にも記されていました。

――毒ガスを散布した実行犯の中に、トリック写真に心酔した幹部もいたわけですか?

「なぜ地下鉄テロを行ったか」の答は、空飛ぶ神と出会えた感激です。なぜだろうと首をかしげる謎などなくて、人間の心のはたらきです。殉教。テロリストの心の闇は、愛する者への優しい忠誠心です。94年だか弁護士が空中浮遊写真を作ってみせた頃、東京都心攻撃は準備中でした。地方都市にとどまり発言力がない私は正直焦りました。「なぜ空飛ぶ超能力が、東京で否定されない?」「超常現象への寛容は、信教の自由を守ってみせる心の広さをアピール?」「トリック写真を振り回す男の信用度を、見極めるためのテレビ討論はギャグなの?」。

――ウソ主張を泳がせたら国民が殺された結末は、治安の教訓になりそうですね?

小さい話に変えましょう。テレビの鑑定番組で第四の国宝級とされた、『曜変天目茶碗』です。本来は黒く発色する釉薬が窯変(ようへん)して青地に水玉模様に化けた、中世中国のオシャカ陶器です。もし本物なら50億円だけど、水玉模様が出ていない失敗作らしくて2500万円に鑑定したと、ネットで解釈され騒がれました。STAP細胞の作製成功と似た、朗報のスタートです。直後に茶碗は偽物だと言う陶芸家が現れました。夢に水を差して壊した罰で彼へのバッシングが続いた後に、真偽はあいまいに放置されています。

――いまだに本物か偽物か、わからないみたいですが?

実はわかっていて、現代中国の女性陶芸作家が量産している1400円相当の民芸品でした。陶芸家が言ったとおりで、そもそも水玉模様が見えず「天目」ですらないのです。しかしバレた話題は特ダネになることもなく、国宝発見時の喜びが今も否定されずに放置されています。幽霊やUFOと同じで。やがてこういう思想が若者をとらえるかも。「本物の国宝級だと都合が悪い人がいて、偽物にしておきたいわけね」「そんな老害は死ね」。

――都市伝説みたいなデマが信者を底支えした、怖い事件だったのですね?

地下鉄サリン事件の後で、諸外国が首をかしげたひとつは、日本人が信教とテロを区別できない不思議でした。日本の自由主義は歯止めがなく、原理主義的です。私はちょっと、現代アートの原理主義を思いました。信教の自由に対して表現の自由。カルト無罪に対してアート無罪。ただし、アート教に関心がある識者はほとんどいないでしょう。最近の話題で、東大で抽象画が捨てられた変な事件も、世間から遠い話でした。識者たちの関心は宗教に向かいやすく、芸術にはほとんど向かわない違いはあります。

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