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電子美術館のQ&A

121 売り絵の画家と呼ばれるのは悪いことか

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2018/6/26

――売り絵とは、良い作品ですか、悪い作品ですか?

売り絵に関する疑問は、美術のインサイダー議論として昔からよくみかけました。「僕は画家の卵ですが、売り絵はよくないのですか」「売り絵を描く人は不名誉ですか」というような質問です。今も、ネットで討論されていることでしょう。

――売り絵とは、プロレベルの作品の意味ですか?

私が聞いた売り絵の意味は、ギャラリーで販売するストック絵画でした。通常のギャラリーの展示会は企画展と呼んで、多くはテーマのある特集展覧会やグループ展や個展です。その企画展とは無関係に、販売用のストック絵画も片隅に置いてあります。よくある特徴として、同じ構図で何枚もまとめ描きされた絵画があります。同じ画家のそっくりの絵が、別のギャラリーにもあったりするのです。

――そんな売り絵は、誰が購入ターゲットなのですか?

マニアックなコレクター向けよりも、一般庶民向けのインテリアグッズが近いでしょう。家の壁にカレンダーをかける感覚に似た購入です。かつてのカタログショッピングでよく見かけたし、今のネット通販も売り絵が中心です。典型的な売り絵しか動かないアートショップサイトもあるようです。「晴天の海のヨット」「大草原の丸太小屋」「富士山と鶴」「二匹の子猫」など、決まった構図もよくみられます。

――売るに徹した絵なら、何か欠点がありそうですが?

売り絵はスラングに近い言葉であり、B級ではなくA級ではありながら、大衆向けに丸めた美術の意味も帯びています。絵画にまずは芸術か商売かが大きく分かれる想定があり、後者が売り絵なのだから本気度が落ちたイメージでみられやすい。だから画商が売り絵と呼ぶ時は、芸術性には期待できない凡作の意味になります。

――売る目的でないのに結果的に売れた絵は、売り絵に当たるのですか?

画家はそこにこだわりますが、人の行動はそうはっきりとは線引きできないものです。日本では当面、忖度(そんたく)という語が流行しています。意味は、相手の都合まで考慮した大人の行為を指します。国会議員が要求しないのに、官僚が先回りして利益をはからう行動などを指します。画家がお客に忖度した絵を描いたかどうかは無意識の領域であろうから、作者本人にも本心はわからないでしょう。

――組織に恩を売るヨイショ発言なんかも、発言者はご機嫌取りしていない顔をしていますね?

いわゆるポジショントークの多くがそうで、他人の目には権力に取り入る行動に映っても、本人は純粋に不朽の正義に基づいていると確信するものです。人の心は弱く、うつろいやすく不安定なものです。その証拠に、恐ろしくタフな人間でも結局は自殺します。鉄の意志は現実にはない。私はみたことがない。絵画制作の目的意識で、作者がどう感じて何を言うかは信頼できる情報ではありません。

――妥協した絵なのに、作者は妥協していないと自分では思うわけですか?

逆のケースもあります。ベストセラー画家へのねたみが起きて、「この画家は売り絵が得意だ」と結論ありきで放言したりもありそうで。売れない者のひがみで、売れっ子に売り絵の烙印を押して回るとか。だから私は、作品だけ見て判断する考え方です。作者の思いは、きっと作品以上に脚色されているだろうと。より正直なのは作品の方です。

――自分の好きに描いた自由な絵は、売り絵でなくなるのですか?

それも意味がない基準です。自分の嫌いなように描く人はいませんから。自分を解き放ち、思いどおりに素直に表現した姿勢が功を奏して、おかげで本物の芸術だとみんなから認められて、だから売れたのだ式の、僕ってすごい物語に特に真理はないでしょう。

――そういう筋書きへ持ち込む言い方は、何か理由があるのですかね?

それもおごりと呼ぶのかも知れませんが、感謝の気持ちもあるでしょう。「購入者は芸術をよくわかっている人だ」と言うだけでも販売促進になるし。ただし、こうした裏には罪悪感が隠されている気がしています。芸術と商業は相反するのだという日本美術の前提がまずあって、売れたということは何か芸術の本質にそむいたからではないかという負い目が、どうも日本にあるらしいのです。売れている画家は売り絵といっしょにされたくない願望を持ち、「自分の絵は売り絵とは違うのだ」という釈明に気を回します。

――売り絵と逆の性質の絵は、何と呼ぶのですか?

私は実験絵画だと考えていますが、そういう対比的な語法はみかけません。売り絵という語を誰かが使い始めた時に想定された反対物は、おそらく公募コンテスト展に応募する競争用の絵画でしょう。「競い絵」とでも言うべき範疇が、売り絵の反対側にあったのだろうと憶測しています。

――競い絵が上品で、売り絵は並品というイメージですか?

そのあたりかも知れませんが。競い絵も売り絵も勝負絵だから、他人から評価される目的で作られます。例えば自動車に、コンセプトモデルと市販モデルがあります。コンセプトモデルは自動車ショーのデモ用スタイリングで、一方の市販モデルは実用的スタイリングです。両者のような大きい差は美術絵画にはなく、コンセプト用の絵も市販用も同じフィーリングに見えます。

――競い絵と売り絵で、一番違うのは何ですか?

競い絵は大作が多く、売り絵は小品が多く、面積が大違いです。競い絵は筆も太いし画材もハイコスト。また絵の置き場所も必要です。私は1984年に描いたF200号を、2016年に捨てました。

――売れないから、じゃまで捨てたわけですよね?

そのとおりで、人気ゼロで買う人が想定できないから、大きい絵から順に捨てたのです。

――その200号は、売り絵ではなかったのですね?

その絵は大作のお試し目的に、スケッチ画を拡大した実験用であり、筆の使い方がその3年後に確立されたから、駆け出し時の半端な画調のまま放置していました。将来上からなぞって描き直すつもりでしたが、メイン作品をコンピューター・グラフィックスに移したので、小品以外は絵の具で描く機会がなくなっていました。

――絵の具の小品という、そっちの絵は売り絵ですか?

大事なポイントです。最近の新しい小品群は、外国で展示販売する目的で規定サイズに描いたものです。奇怪な造形でありながら、最初から値段をつける前提です。だからやはり売り絵に含まれるのではと感じます。日本で買う人はいないし、カタログショッピングにも不向きすぎて、売り絵に値しない売れない絵なのに、です。

――抽象画でかつ常人に理解しがたい画風でも、売り絵に入るとは何か変ですね?

造形に違和感があっても、売れる期待も込めているという、はざまの存在になるとは、筆を進めながら感じていました。売れたらありがたいと思いつつも、絵として認め難い方向へ引っ張ることで、拒絶反応を誘う内容です。「さすがにこれは絵ではない」とお客が言い出すよう、美術の範囲から外して描いていますから。でも、厳密な本心はわかりません。

――そうして外国に出品する時、日本での出品と何か違いはあるのですか?

大規模アート展覧会は、内外でスタイルが異なります。日本の展覧会は公募コンテストがほとんどです。外国ではアートフェアがほとんどです。アートフェアは美術の大バザールで、作品Aと作品Bのどちらが秀逸かを順位づけせずに、同格に並べます。買うのはAかBかと、お客が採点するのがアートフェア。作品検閲がなかったり、ごくゆるい。トンデモ作品も市民の前に出せるのがアートフェアです。

――二種類ある展覧会の違いは、売り絵の話とどう関係するのですか?

少なくとも欧米では、絵は全て売る前提です。売らない絵は想定されません。つまり芸術的に作るか、それとも商業的に作るかで、大きく二分される発想が他国にはないようです。芸術絵画とは別に、商業絵画もあるとする品質の二本立ては、日本以外は不明瞭かも知れません。絵に「王道と邪道」の二種類が用意されるのは、実に日本的です。

――欧米では、作品に必ず値段をつけるそうですね?

市役所のエントランスロビーで絵画展を開いてさえ、価格を表示して売り出します。公務員の職員がセールスし、買う客が現れる確率も高いし。一方の日本では、市役所の館内で絵を展示しても、売買は一切厳禁でしょう。

――日本の大規模展覧会は、コンテストばかりに片寄っていませんか?

日本の公募コンテスト展では、会場で作品の販売が禁止されています。素晴らしい作品を見て楽しんで、吸収して心の糧とし、豊かな気持ちになって帰宅するのが、日本の展覧会の目的といえます。だから日本のイベント登録サイトなども、コンペ用の入力フォームしか用意されず、アートフェアの概念からして存在しなかったりします。

――日本と外国では、展覧会の目的自体がまるで違うのですね?

日本は見るイベントで、外国は買うイベントです。売り絵は果たして善か悪かの命題が日本で深刻なのは、この違いと関係があるのでしょう。「気の向くまま好きに描きました」「誇りをもって描きました」と告げる画家が日本に多いのは、「作品に邪心はありません」「商売はしていません」「売り絵と違うんです」のほのめかしでしょう。故意に売れ線を狙って売れたのではなく、純粋に芸術性が高いから売れたのだと、作為を否定し制作態度の潔白ぶりを訴えています。これは日本の美術が特殊化している表れでしょう。

――だとしても売る前提だと、どうしても妥協的な甘い作品になりませんか?

その心配も日本に限るでしょう。というのは、外国には先鋭的な絵や刺激の強い変な造形にも、金を払う人がいます。絵画に似ていない絵画にも買い手がつきます。しかし日本では、絵画に似ている絵画に市場は終始します。変わった絵を入手したいという需要は、実は日本にはないようです。完全にゼロかはわかりませんが、私はみたことがない。日本の売れ線はレトロであり、先鋭や変な絵が売れるとすれば、ネームバリューが先行した有名人です。その場合の求めは芸術価値よりも資産価値です。財テクの世界。

――日本で売れる絵と、欧米で売れる絵の違いを、一言で言えますか?

今の日本では、近代絵画が売れます。欧米では現代絵画が売れます。

――日本では、創造的な作品ほど売れないわけですか?

それは私の新発見ではなく、画家たちに語られてきました。創造への挑戦、本物の芸術をやる冒険なら欧米へ行こうという棲み分けが、日本の画家の念頭にあるのです。日本の許容範囲からはみ出た美術家は、少しずつ海外へ活動の場を移しています。移住してしまったケースも意外にあるようで。野心的だからではなく、日本にいても認められないからでしょう。暗黙の禁制が多い不自由から脱出する亡命です。ノーベル賞の科学系でもよく語られた現実です。

――売り絵は、欧米にはないのですか?

あります。ドイツ語のショップサイトを教えられ、キャンバスにプリントした廉価なジクレー作品の通信販売でした。その品ぞろえは、先進の抽象造形がずらり。日本だと意味不明の実験絵画と受け取られ、とういて売れそうにないコンテンポラリー絵画です。それが、ドイツ語圏では売り絵のポジションにあり、市民がインテリアグッズ感覚で家に飾ります。求められる作品は日本なら近代絵画で、欧米は現代絵画だとした先述の根拠のひとつがドイツ通販の売り絵です。

――日本の画家が外国へ進出するなら、頭を切り換える必要がありますね?

私は海外美術展を企画していますが、参加者が好きに出す方式はやめて、作品選びと制作をアシストする方式に変えました。アシストとはより創造的で芸術的、より屈折した、毒を含む狂気的な方向へ引っ張ります。といっても、アーティスト本人の作風を変えはせず、作品の刺激を薄め相手の神経を逆なでしない日本的な忖度を解除して、外国で通用させる近道です。具体的に何をどうやれば結果がどうなるかは、いつか詳しく説明できる機会があるでしょう。

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