現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館のQ&A

110 一夜で白髪に変わってしまう怖い作品?

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2014/9/25

――言葉で伝えにくい理念も、美術なら伝えられますね?

今の美術に実用性はなく、役目は人と人のコミュニケーションツールとされます。ではコミュニケーションの本家たる言葉は、今どうなのか。話し言葉や書き言葉は、情報をどの程度確実に伝えているのかも振り返ってみたくなります。

――普段使っている言葉は、万能で優秀に思えますが?

言葉では伝えにくい話題は、世にたくさんあります。長い年月のうちに話がからまったり、間違って伝わって暗礁に乗り上げている話題もあります。その一例として、ある怪現象があります。人の髪が一夜で白く変わった、あの伝説です。

――黒い髪がわずか一晩で全部真っ白になったという、不思議な出来事があると聞きますね?

恐しい体験や悲しい体験があった人が、その時を境に髪全体が真っ白に変化した話です。以降は白髪の人となって、黒髪に戻ることがなかった逸話が日本にもあります。

――おそらく実話だろうと思って、何となく信じていますが?

多くの情報源は小説や漫画です。フィクションから引用されて、さらに二次拡散しています。それなら、単にネタ話を脚色してエンタメにまとめた都市伝説にとどまるはず。しかし科学ジャーナルが真偽を確かめようとして、「一夜で真っ白な髪に変わったのは確か」との証言が昔得られたとされます。

――証言自体がウソだったりは、ないのですか?

確かに、世の怪談の多くは事件自体が虚構です。例えば、外国の交差点や踏切に事故犠牲者の霊が現れる話。詳しい説明や具体的な証言が書かれていても、実は交差点や踏切自体が、昔も今も実在しない真っ赤なウソがたくさんあります。遠い異国ゆえ見に行けない日本の読者に向けて、日本のライターが作り話の本を書いてヒットさせていました。読者が大人になってから全部がウソだと知っても、本代は戻ってきません。

――マスコミは真実だけを伝えると、今も私たちは固く信じていますから?

特に子どもは、他人がわざわざ何かを言い出せば、ウソではあるまいとの先入観で受け取ります。子どもだましは容易。アメリカの大学教授が成功させた画期的な実験で、物好きな日本人が渡米して調べると、大学も教授も架空ネームだったことがありました。こうしたリアルなガセネタは、ビジネスモデルとして出版技術以前から確立されていたでしょう。本当よりも嘘の方が利益が大きいのは、健康食品でも皆よく知っているわけで。しかし白髪の件は、この手の創作ではないようです。当人は隠れもせずに、正直な態度です。

――リング上で白髪に変わってしまった、ボクシング漫画がありましたね?

家庭を持つチャンピオンは、死ぬまで闘うことはできなかった。だが、対戦相手がいくら打たれても立ち上がって来るから、チャンピオンは相手が愛する者を持たない異質な人間と知る。恐怖からパニックを起こして暴れ、珍しく反則を取られるチャンピオン。最終ラウンドの後に、観客はチャンピオンの髪が真っ白に変わったのを発見して驚く、というストーリー。

――わずか3分ではさすがに無理としても、1日あれば何とか白く変わりませんか?

1日でもかなりのスピード変化です。「あれ、あんた、さっきより頭の色が明るいよ」と、周囲が指摘するでしょう。

――たった1日で頭が真っ黒から真っ白に変化する、その仕組み自体はあるのですか?

ありません。医者や生理学の学者たちは完全否定しています。なぜなら、髪には人間の体から栄養分が行かないからです。身体側から神経やら連絡パイプが何もないから、髪は体調の影響を受けません。恐怖体験がいくら大きくても結果は同じ。これが最終結論になるでしょう。

――にもかかわらず一晩で白髪になったのは、限度を超えた地獄の惨劇が原因ですか?

起きないはずの奇跡が起きたのは、起きるに足るだけの、それだけひどい何かがあった証拠なのだという、先に結論を決めて落とし込む解釈は、冤罪事件型の論理飛躍でしょう。それは、子ども相手の民話専門ライターや、イエロージャーナリズムにまかせて済む仕事でしょう。

――真相は、いったいどう考えるべきですか?

一夜で白髪に変わった怪談は、言葉のすれ違いの典型です。不正確な活字で生じた、無駄な空回り。要するに、言語の欠陥が露呈しただけの、虚しい勘違い議論でした。

――それは、いったいどういうことですか?

ボクシング漫画のチャンピオンに起きた白髪は、皮膚の外に露出した部分の話です。一方本物の体験談は、皮膚の内側に隠れた部分の話です。実際に起きたことは、新しく伸びた髪の根元が白く変わっていただけ。根元だけが白髪。根元だけ。根元。前からあった黒髪は、その後も黒いままだったという。

――頭全体、丸ごと真っ白になったのではなかったと?

翌日になってよく見ると、一晩かけて伸びた髪の生え際が白髪になっていて驚いたわけです。頭にある髪の全本数の根っこが同時に。根っこが。根っこ。びっくりした当人や家族は、「一晩で髪が全部真っ白に変わった」と発言しています。この発言が極めてあやふやで、舌足らずでした。

――単語が何を意味するかが、言う方と聞く方で違っていたのですか?

以前に生えていた先端部の話か、以降に生えた根元の話かを、あいまいにした言葉表現がトラブルの元凶でした。「全部が真っ白」という時の、「全部」が何を指すかで多義性が持ち込まれたトリックです。日本語表現のまずさで、誤解釈を招いたオチがタネ明かし。中学の時に英語の授業で、「りんごの全てを食べる」とは、りんご1個丸かじりなのか、りんご箱の中の30個全部なのか、どっちの話かと先生に質問した生徒を思い出します。それと同じ言葉のいたずらです。

――人の頭1個分丸ごと白くなったのは、事件からかなり後の話だったのですね?

例えば髪の長さが20ミリの場合、新しく伸びた根元1ミリが白く変わったのです。翌日見ると、全長21ミリのうち根元の1ミリのみ白い状態です。20ミリ分は相変わらず黒。そのまま散髪しないで全長40ミリに伸びたら、白黒が20ミリずつで2分されたツートンカラー。それだけのこと。

――髪のどこが白でどこが黒かを図示していれば、最初から解決していたのに?

「恐しい出来事があって一晩で髪が全て真っ白に変わった」とだけ、精度の低い情報が流れて広まったせいで、読者はまんまとはめられてきました。派生したフィクション小説や漫画作品をソース源として、一夜白髪をあっさり否定する科学者や医者への不信を胸に刻み込んで、心霊業界の門を叩いたり、オカルトに傾斜した人生観を固めていった人も少しはいたのでしょう。

――確かにだまされたみたいで、言葉に振り回されすぎて、有害だと感じますが?

学生時代に車の運転免許試験場で、交通ルールのペーパーテストを受けた時のこと。会場で公安委員会の試験官は、「全問正解者はいまだに出ていないから、心してかかるように」と皆に注意しました。試験は開始され、しばらくすると私はその意味を理解しました。100問中いくつもの設問で、文章が日本語として成り立っていなかったのです。一瞬、不合格かも知れないと感じたほど、ひどいものでした。

――意味のわからない質問が混じっていたのですか?

「髪の全て」とは、6万ある全本数の意味か、4センチある全長の意味か、試験の作成者と受験者とで解釈が違えば、当然正解はゆらぎます。日本語がわかる人だけが間違う、逆転現象も起き得るわけで。もし全問が正しい言葉表現だったなら、過去に何千人も満点が出たでしょう。最高学府の学部入試さえ、満点をとる者がいる世の中。歴史ある試験場で満点が一度も出なかったのは、試験問題に多くの瑕疵があったとみる方が適切でしょう。受験者にとって、意味が不明や逆だった文章が、長年多発し続けた出題ミスです。

――そうしたあいまいな言葉表現を、何者かがわざとやったりもありませんか?

いわゆる役人の作文の話はやめましょう。詐欺でよく使われる、相手に錯誤させて水掛け論に持ち込む、言葉の引っかけに確かに似ています。「私は消防署の方から来ました」という、昔からあるごまかしにも似ているし。最近の事例では、当初「つくった」と言っていたのに、疑惑が出てからは「発見した」と誰かが言い換えただけで、評論家も国民もニュースキャスターもキリキリ舞いして、迷走だけを続ける新型細胞の事件も。

――言葉に、故意のインチキがあるわけですね?

雇用、税、軍などをめぐるイデオロギー論争をみると、厳密な話に整理すれば負ける自覚のある側は、わざと語弊がある表現を使うものです。論点がよくわからない話にして、世論の収束を食い止め、宙に浮かせる手法。言葉の選択と調整で焦点をぼかし、論争が無限に長引くようし向ける小細工。グレーにさえ持ち込めば永続できる幽霊主張と同じやり方です。こうした国民の理解を妨げて決着をつかなくさせるテクニックが、割と一般化し習慣化しています。

――ともあれ、一晩で真っ白に変わった謎は、これですっきり解けましたね?

根元が白くなった因果関係は不明です。一夜白髪のケースは少なすぎて、原因がショッキング体験かはわかりません。「AとBが同時に起きたから、AがBの原因だ」式の早合点の可能性。戦争、テロ、極刑など恐しい体験は世の中に多いから、白髪の事例は古今東西にざくざくあるはずです。世にまれな結合性双生児でさえ映像がネットにある時代に、一夜白髪の件数が不自然に少ない点が、「無関係な一致」を疑う理由になります。関係があるなら、あちこちでひんぱんに見られるはず。事件の数日前にすでに、皮膚の内部で白髪になっていたとか。思い込みの決めつけだった疑い。

――ところで、絵画もまた図示するメディアだから、言葉の空転の謎解きに役立ちませんか?

絵画はとっくに図版でなくなって、シンボルやアイコンの位置づけになっています。しかも誤解を解く側にいながら、誤解を与える側にもいます。一般論でも、アートは誤読のデパートであり、解釈がすれ違うトラブルの温床です。

――特に現代美術は、謎や疑問をいたずらに増やしている印象がありますね?

謎をつくる楽しみに、制作が興じている面もあります。鑑賞者に錯誤させ水掛け論に持ち込む引っかけは、美術が得意なやり方です。モチーフや技法の選択と調整で焦点をぼかすなど、論争を無限に長引かせる小細工とか。「私は美術学校の方から来ました」式の思わせぶりも、美術が得意としてきたごまかし。「つくった」と言うべきを、「発見した」と作者が言い換えて、迷走をやめないピカソ論なども。当初は人工物を新造した手柄の話だったのに、途中から自然界にあるかないかの話に化けて、永久に期待をつなごうとする勘違い。

――私たちは普通、地図を読むように絵画を読もうと、気が回ってしまいますが?

鑑賞が失敗する大きい理由は、それでしょう。モディリアニの例では、首の長い部族がパリに住んでいる事実の記録ではありません。人の首が長く見える目の病気を、医者に告白した図示でもなかった。首を長めに描けば絵としてカッコいい、おしゃれじゃんという、それだけです。イタリアの画家だけでなく、日本の少女フレンドだってやっていたこと。

――今の美術は、何かを伝えたいのか、逆に伝えまいとしているのか、迷いがみえますが?

現代美術の特徴でもある、ああでもある、こうでもあるという多義性やあいまい性は、現代の空気の反映でしょう。おそらく、高度情報化社会の混沌とした雰囲気や不安心理を持ち込んでいるのです。新世代の美術家は、社会の歪みを動力源にして、モチーフにして、時には直接の主題にしています。しかし、謎を解いた回答を描くことはあまりないでしょう。現代美術家は、回答者ではなく出題者になっています。

――美術が人に何かを教えてくれるという言い方は、もう言葉どおりに受け取れませんね?

私の感触では、人を大いに悩ませる美術ほど芸術的です。意外にも伝達機能は芸術じゃない。というのも、謎多い作品ほど結局は長命だから、それを芸術と定義しないと意味がありません。逆に、早めにすたれる「時の高級品」で定義するのは、言葉の浪費です。美術に触れる喜びとは、丸く収まる喜びとは違う喜びでしょう。楽しい美術とは、なぐさみの享楽とは違う楽しさ。心を豊かにすると言っても、裕福な気分とは違うのでしょう。

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