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電子美術館のQ&A

87 日本人はなぜ絵やアート作品を買わない?

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2012/5/16

――日本人は、めったなことでは美術を買いませんね?

日本で絵を買う人が少ない原因は、住宅が狭いせいだとも言われてきました。要するに家に壁がないという問題。壁はあるにはあるのですが、タンスや本棚で埋まってしまうから、絵を飾るスペースが残っていないという説明でした。

――その説明は、原因として本当なのですか?

たぶん迷信です。絵を買わない理由は、単純に絵がわからないからだと考えるべきでしょう。その根拠のひとつは、日本の画廊が扱っている絵のほとんどが小品で、しかも号数ひとけた台のミニ作品に力を入れている点です。狭い家への対応は画廊がもうやっています。F3号以下はA4版の雑誌よりも面積が小さいので、買わない原因は展示スペースではないでしょう。

――要するに、無教養だということですか?

まあ、そこには裏があります。例えば、美術をわかるような人は何かおかしいという、ばくぜんとした空気が日本にあるでしょう。カッコつけてるとか、リベラルな理論家とか、異常な感覚を持っているとか。「僕は美術なんてわからない」と言っておいた方が、好感の持てる常識人に映る社会なのです。

――個人が美術をわかることを、社会が望んでいないわけですか?

簡単にいえば、美術の価値を上の偉い人が決める暗黙のルールが日本にあります。国民は上で決められた価値観に従って、番付の序列を守って鑑賞する流れができあがっているのです。その辺の素人が美術に一過言持つのは、ほめられた話ではないとされています。

――庶民は、上から号令をかけられている感じですね?

鑑賞に値する作品がどれどれなのかを、上が決める仕組みになっています。下はついていくだけ。上の許可なしに、国民の側で勝手に美術の良し悪しを決めてはまずいのです。別に法律や条例や行政指導はないのですが、役割分担が堅固で、美術鑑賞が管理されている状態です。

――そういうところは、外国ではどうなっているのですか?

かつて欧米には作品を公に出す権利を買うアンデパンダン展という展覧会があって、あらゆる美術を大勢の市民が見て、どれでも自由に買うことができました。展覧会とは、基本的にお店屋さんなのです。

――日本で展覧会といえば、発表会か登竜門の意味が強いようですが?

今でも公募展と呼ぶコンテスト方式が主流です。審査に受かった入選以上が展示されるから、美術家は審査員が認める作品を作ることから全てが始まります。偉い人の採点でお墨付きを得て初めて、人々に見せる許可が下りるかたちです。そのせいで、日本の展覧会には国家資格の受験会場のような空気がただよいます。

――鑑賞者は、選ばれた上位作品だけを見るわけですか?

選ばれたのが良い作品で、選ばれなかったのは悪い作品という採点結果もセットにして受け入れるのです。悪い作品は取り除かれているので、鑑賞者は目に入る作品をほめれば済むようになっています。

――客に、作品に一票を投じる選挙権がないのですね?

自分たちの目で、一から選ぶという発想は入る余地がないでしょう。答を見ながら問題を解くような、筋書きのある鑑賞になります。安全で無害な、保証付き作品のみ相手にする鑑賞に、日本人は慣れているのです。

――たまには、悪いとされている作品群を見たくなりませんか?

上手な作品を目指して届かなかった未熟作品に混じって、評価軸からはみ出たトンデモ系や未来の名作も、そこに沈んでいる理屈です。現役のセザンヌやゴッホを見て笑う機会が、日本ではありません。

――公募コンテストが日本の美術を貧しくしてきたなんて、誰も言いませんからねえ?

まずいと思っている人はけっこういます。でも落選したへたな絵かきのひがみに受け取られるので、少なくとも美術家は言い出せないでしょう。「文句を言う前に賞のひとつでも取ってみろ」と、言い返されて終わり。当選したらしたで、今度はあっち側の一員になるわけで。

――でも、公募コンテストが主流の日本で、なぜ美術を買う習慣ができなかったのですか?

社会教育の欠落と、条件反射です。保護主義の悪弊。国民が個展を見に行っても、そこには公募展のような上が押した太鼓判がないので、判断停止が起きます。入賞と書いた札なしに、いきなり作品だけを見ても価値がわからないなら、当然買おうなんて思うわけがありません。個展に立ち寄って何かを感じたとしても、「僕らに価値を決める権限はない」という意識がブレーキになります。

――じゃあ個展で売れている美術家は、太鼓判を押された人なのですか?

実はそうなのです。美術を見る自分なりの目を国民が持たない前提なので、美術家は受賞経験を訴えます。制作方針やコンセプトよりも、受賞歴の一覧表を真っ先にかかげて信用をアピールするのが日本式の販売促進になっています。ついでにいえば、出身校をかかげるのも日本で必要とされます。作者の素性をみてから、作品の価値を推し量る国民性への対応です。

――作品の内容なんか、後回しになっていますね?

作品の評価を大きく左右する決定要因は知名度です。テレビに出る芸能人の作品だけは安定して売れるから、芸能事務所が芸能人にアートをやらせるプロモートが、日本では昔からあったのです。五輪などスポーツ種目で目立つよりも、アートを作る方が費用対効果で有利かも知れません。

――芸人以外の美術家は、公募コンテストでタイトルを得ないと、何も始まらないわけですか?

その結果、日本で山のようにある展覧会は、ほとんどが公募コンテストです。そして、もうずいぶん前からフランスで行われる日本人向けの公募コンテストに、日本の美術家が挑戦しています。日本国民は美術をわからないという前提で、サムライ商法として検定試験感覚のコンテスト産業が発達してきたのです。

――それは、日本の美術界にどういう影響を与えてきたのですか?

美術の自由市場が育ちませんでした。美術を好きに買ってはまずいような雰囲気が、常につきまとうのです。

――外国では、公募コンテストは流行らないのですか?

海外で多い大規模展覧会は、アートフェアという形式です。これは、たくさんの画廊が一カ所に集まったバザーです。入場有料で土日を含む4日程度、20〜300店の画廊が作品を持ち寄って、業界人やディーラーやコレクターが集まって売買が行われます。市民も勝手に見て、勝手に批評し、勝手に買うことが当たり前になっています。アートフェア主催団体が画廊を指名したり募集し、画廊の一部は出品美術家を募集して相乗り展を行ったりもします。

――アートフェアでは、入選とか賞とかはないのですか?

時にはギャラリー内で賞を出したりしますが、お客の投票です。今どき審査員の一存で作品を斬っても、多様化した現代表現には対応できないでしょう。偉い人の採点で決めてしまう公募コンテスト展が、いかに不合理で市場を冷やしてきたかは、こうした見本市の展示と比べればわかります。

――アートフェアの作品傾向は、どんな感じなのですか?

欧米の有名アートフェアは、全てがコンテンポラリー作品といっていいでしょう。

――それを見た欧米の客は、わけがわからないと怒って帰ったりしませんか?

欧米で普通に美術といえば、コンテンポラリーです。日本で普通に美術といえば19世紀印象派やエコール・ド・パリですが、これは中国や韓国のコンテンポラリーアートへの入れ込みにも圧倒されている現状です。

――いっそ日本でも、アートフェアを開けないのですか?

よくぞ聞いてくれました。実は2000年代半ば以降に、日本でもアートフェアが次々と結成され始めました。何周も遅れてからのスタートです。古美術や伝統工芸、骨董の壷や茶器などが目立つ点で、コンテンポラリーアート祭である海外とは雰囲気が違い、旧態の官展系に似た部分もあります。それでも、日本を伸び悩ませる原因のひとつに対して、とりあえず突破口が設けられたのは好転でしょう。

――それにしても、絵を買わない原因は家の壁ではなくて、心の壁だったのですね?

「作品なんて僕が採点してやる」という気概が、日本では育ちませんでした。上におまかせして、僕らはノータッチ。作品と評価を同時に与えられてきた受け身の習慣で、国民の気持ちは美術から離れて、絵のひとつも家に置かない結果として出ていると私はみています。

――ただですね、いざ画廊へ行ってみると、小さな絵なのにずいぶん高いようですが?

よくぞ聞いてくれました。市場が小さいから値段が高くなっているという、経済原理だけがその理由ではありません。あくまでも国民は美術がわからないという前提があるので、値段をあえて高くつけることで、「この絵は優れていますよ」という合図を送っているのです。

――でも一部の作品だけでなく、全部の作品がどれもこれも高いと感じますが?

値段が高いほど良い作品だと信じる日本人の感覚に、日本のマーケットが合わせているわけです。駆け出しの知られない画家であっても、立派な値段をかかげることで、立派な画家だという演出を行うわけです。つまり、日本の美術価格は底値が高すぎます。心の壁を乗り越えても、サイフの壁でやっぱり買えません。欧米のアートフェアで、駆け出しが捨て値からスタートする、そこをねらうおもしろさは日本ではまだ先です。

――ところでネットで、「日本人は個性嫌いだから美術を買わない」という意見も見ましたが?

ネットフォーラムでの共通認識は、「日本人は個性を排除する国民」というものです。絵は人の行動の痕跡であり、その攻めの手を受けたくない、他者の思想表明や心情告白なんかに興味はないさ・・・。これが日本人が絵を室内に飾らない理由として、自覚されているようです。

――そちらは、真偽はどうなのですか?

他者からの攻めを自覚するのは当たり前で、それは人類の全員にいえることです。日本だけの特殊事情ではないでしょう。今やっている話は、日本だけがなぜそうなっているのかという部分です。日本の、それも美術で起きている特殊な現象として、個人が価値判断を持つことを国全体で抑制してきた過去の流れが大きい、という話なのです。

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