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電子美術館のQ&A

59 日本の原発と美術の共通性とは

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/5/5

――福島第1原子力発電所の事故は、危険度が上限のレベル7になりましたが?

どうみても、日本の原子力業界の完敗といえます。一方、事故後の政界と業界の対応が世界中からバッシングされましたが、こちらは原発ショックの本線とは別の話です。

――それなら、何が完敗なのですか?

原発が壊れ放射性物質が出た時に、勝敗が決まりました。修理しようと近づいた人は死んでしまうのだから、アフターでの挽回は無理。ゆれて海水がかかって、おしまい。今やっているのは、あとの祭です。

――でも、想定外の震度と津波なので、原発の損壊は仕方がなかったと思えますが?

想定外とは、想定が不可能な地震が起きた時に使える言葉です。いわゆる「予見の可能性」というやつ。「予見したか」ではなく「予見できたか」。予見し忘れたり、ボケていた、うっかり抜けていたというのは関係ありません。

――だとしても、過去最大の地震が来たのだと、理解している国民が多いのではありませんか?

地震報道をよくみてください。語に注意して。「日本国内観測史上最大」のフレーズが、あちこちで言われ、書かれています。各新聞社のネット版にも散見するこのフレーズ。意味するところは、世界最大ではなく日本最大です。

――マグニチュードの数字は、地震の直後によく耳にしましたが?

東日本大震災の地震エネルギー総量は、歴代1位ではなく4位です。ギネスブックのナンバーワンに届きません。過去に上をいく地震が3つもあり、しかも4位は5つあって、それぞれで他説の大きい値を採用すれば、7位タイへとさらに落ちます。記録を更新しての1位ではないのだから、想定できる範囲内です。想定外と言うのは無理。

――日本一ではなく、世界一の地震を日本で想定すべきだとすれば、その根拠は何ですか?

世界一地震が多いナンバーワン国が日本です。「最多の国で、最大の規模が起きる」と予想するのが素直な発想でしょう。なのに、日本には世界一は来ないと、ひねた発想が好まれたのはなぜか。この不合理な心理メカニズムは、地震の物理メカニズムよりやっかいかも知れません。

――国民は、千年に一度の最大の地震が来たとの印象を、持っていますが?

世界記録4位なのに、1位が来た気でいる・・・。事実と心象のこのギャップに注目できます。世界と日本が断絶した前提。実はこれ、文化活動の分野によくみられる現象です。世界と日本の間に連続性がなく、全然違うものにとらえるという。国内外を強く区切るこうした慣習や空気が、原子力の分野でも出たかっこうです。

――原発の考え方が、最初から間違っていたのですか?

合目的性がなかったようです。道理はこうでしょう。「故障したら絶対いやだという施設。これを、世界で最も地震が多い国に建てるなら、世界で最も大きかった地震を基準にすればよい」と。具体的には、歴代1位である1960年のチリ地震(編集注:マグニチュード9.5)が原発そばで発生した時に、原子力事故が起きない強度を基準とする。

――でもそれだと、チリ地震よりさらに大きい地震が来たら、結局は壊れませんか?

当然、安全率のマージンを加えます。設計者が地震や津波は怖いと思えば、新記録を想定してマージンを増やすでしょう。地震や津波なんて平気だと思えば、マージンをゼロにしてチリ地震に等しい想定にとどめるでしょう。

――しかし結果は、それより小さい4位ないし7位の地震で、原発はあっさり壊滅しましたね?

しかも震源は原発から離れていたので、震度7ではなく6です。福島第1原発にとっては、二重のラッキー。それなのに最悪の事象。国民にとって想定外の、貧弱な施設でした。

――原発が壊れた原因は、むしろ津波だそうですが?

致命傷は、ゆれて冷却用入力電線の鉄塔が倒れたこととされます。一時停電とは違い、長時間回復不能だからだと。

――津波で敷地が水没したのも、事実のようですが?

失われた外部電力をカバーするディーゼル発電機がもし正常に動いていたら、半日で燃料が切れます。そこで軽油をつぎ足せば、冷却が続けられて延命します。ところがシステムごと水没し、軽油タンクも外れてなくなっていたそうです。ただ今のところ、最初のゆれで原子炉が割れてメルトダウンしていた可能性もあるのですが。もしそうなら、冷却装置があってもおしまい。

――踏んだり蹴ったりで、初運転する前から終わっていたようなものですね?

そうでもありません。40年前の原設計と施工の不足分を埋める時間は、実はあったのです。

――「原発は安全です」と言った最初のウソが、後の改善をやりにくくしたと聞きますが?

最初のウソをつくろうために、もう一度ウソをつく必要がありました。ハッタリのビッグマウスに実態が届くよう、後でこっそりと修正工事をやっておく策謀です。これが必要でした。例えば、1995年の阪神淡路大震災の後に、日本中の官民ビルで耐震診断と耐震補強工事が一大ブームになっていました。これに便乗して、弱点を直しておく手がありました。

――ブームにまぎれてこっそり補強しても、すぐに世間にバレそうですが?

チャンスはまだありました。歴代2位の、2002年スマトラ島沖地震です。美しいリゾート地が水没する津波の動画が話題になりました。すでにネット時代だったからです。原発の補強を白昼堂々とやれる、渡りに舟だったのです。しれっと補強工事をやって、過去の不足分をごまかせばよかった。

――結局は改良も補強もなく放置された、その根本原因として政官財の癒着が指摘されていますが?

癒着は全人類にいえることで、プロ業務の能力は別です。業界を独占して立場が強くなれば、スタッフ一同天狗になっておごり高ぶり、態度も金欲も青天井、わがまま放題の人格になる。これはヒトの性質であって、特定の電力会社に限りません。しかし日本は結果を出せずに敗れた。私はそこにもうひとつ、日本特有のプラス思考を求め合う強迫観念もあったと思います。

――プラス思考といえば、物ごとを良い方、明るい方に解釈するあれですね?

「ひどいことが起きたらいやだ」という願いが、「ひどいことは起きない」という予断と確信に化ける思考です。例えばこういうやりとり。「おたずねしますが、もし世界最大の地震が来たらどうなりますか?」。「仮定の質問には答えられません」。確率的に可能性を憂慮する者は常に敬遠され、排除され、極論が消されるこの光景に覚えがあるでしょう。「細かい心配に気を回す人は感じ悪い」。「起きてはいけないことは、起きないものなんだよ、君い」。

――プラス思考というのは、常に好ましい性格としてもてはやされていますが?

美徳に思われがちですが、事態の想定をゆるく考える諸悪の根元です。例えば車の飲酒死亡事故は、プラス思考によって起きます。ポジティブ・シンキングは考え方のひとつであって、ネガティブ・シンキングとセットで機能します。片方を抜き出して理念化しても、だめ。本来はプラスとマイナスを等しく考える方が、好ましいに決まっています。原発の敗因は、実は私たちの日常感覚の中にありました。

――世界一の出来事は日本では起きないとする想定を、日本人はなぜ好むのでしょうか?

世界一の記録が、主に他国から出ている背景もあったと思います。世界一大きな花だとか、世界一小さな切手だとか、世界一くさい食品。全く勝てない世界の壁。そして世界的な美術というのも、たいてい日本の話でないから。こうして「日本はB級だ伝説」が何となく形成されていて、危険に対してはプラス思考、成果に対してはマイナス思考となったのかも知れません。

――美術でも、世界一と日本一は断絶していますね?

一般に、外国の美術館は変わったものを集めます。それに対して、日本の美術館は変わったもの以外を集めます。「日本の美術館には、芸術でないものがたくさんあって、芸術は少しだけある」という特異性があるのです。

――それが本当だったら、国民は何を信じていいのかわかりませんね?

原発が今その状態です。「日本の原発には、安全でないものがたくさんあって、安全は少しだけある」。そう説く学者も過去にいました。しかし国民は「それが本当なら信じられるものがなくなる」として、公的機関が出す安全説に好感をいだき身を寄せました。国民もまた、不幸を想定する者を出過ぎた危険なキャラだと感じ、出世させなかったわけです。国民はプラス思考を支持し、マイナス発言する学者を嫌った。そして、今のどんでんがえしへと続きます。

――原子力と美術で、共通点は何なのですか?

国民が、専門家のお墨付きを信じるしかない点です。

――原子力業界の閉鎖的な体質が、報道でもクローズアップされていますが?

日本で絵をかく画家に、世界一の絵を目指す意識はまず起きません。ローカル価値に沿って活動し、内輪の有力者に愛され、縁故で上がる順路が一般的です。つくる者と採点する者が師弟や同僚だったなどは、原発村だけでなく美術村でも起きます。どちらも、学閥が想像以上につてになっているとか。

――いわゆるムラ社会というのは、日本の内面を語るキーワードになっていますね?

その後どうなったかは、両者で違いました。美術がローカル村へと閉じたら、世界からの引きこもり状態になっただけ。しかし原発がローカル村へと閉じたら、逆に世界にとどろくビッグニュースに躍り出ました。今や国際的に目立ちまくり。

――戦後65年余りで築いた、国際的なジャパンブランドの栄光を失った私たちは、何を教訓にできますか?

どんな分野も、最初から世界を想定した方が得策かも、というのがひとつあります。

――世界一を目指せということですか?

ナンバーワンをゲットする、野心のススメとは限りません。世界4位なのに、1位が来た気でいる。この国民の思いは、原発設計に込められた設計者の思いと同様に、「日本はB級だ伝説」のしばりを受けています。

――でも、美術は放射線を出さないし、あとの祭も起きないと思いますけど?

美術の「日本はB級だ伝説」は、舶来モノは個性の饗宴、国内モノは個性の排除と、棲み分けに表れています。「どっちが芸術かは人それぞれ」と判断停止したせいで、芸術とは何なのかにおぼろげな見当さえつかない国民が、多く育ち過ぎたのです。日本人は外国人より美術鑑賞が苦手に育っていて、ハンデを負っています。これはメリットではなく、たぶんデメリットです。

――実際に、どんな問題がありますか?

美術業界の希薄化が起きています。東日本大震災の義援金は、美術関係からは少なかった。ネットのアート販売業はチャリティー作品を用意しましたが、一般美術は投機買いと有名人買い以外に確かなマーケット基盤がないようで、産業として細いのでしょう。外貨獲得コンテンツクラブから外れたマイナーが日本美術のようで。日本の美術界は国内でも存在感が小さい分野だと、災害で発覚しました。

――これから世界を視界に入れるとなれば、改革の痛みをともないそうですね?

別に痛くはないでしょう。先達の分野が払った犠牲は、痛みではなく労力です。モーターやマイコンや自動車の企業は、世界と日本の区切りの壁を外すなどして、楽しくやっています。祭はあとでやるより、先にやった方が得策でしょう。

――世界と日本を厳格に区切る業界には、やはり共通点があるのですか?

官に近いほど、日本村に引きこもる傾向があるのかも。「これが優れもの」「これが安全もの」と、価値が上から下に降りてきて、人々が専門家を頼る分野がそれでしょう。その逆といえば、例えば国内でフィギュアスケートやゴルフを見る時を考えると、世界と切れ目のない連続を感じます。世界一ではなくとも、世界ランキングと日本ランキングに断絶がなく、異なるほめ言葉を内外で使い分ける必要がないのです。採点基準が、逆になっていたりがありません。

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