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電子美術館のQ&A

11 美術の盗作、音楽のパクリ

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2006/8/15

――音楽界では、パクリが横行しているらしいですが?

例えば、国内ポップスシーンで活躍する40代の作曲家やプロデューサーの多くは、中学、高校時代に洋楽に聴き入っています。そのせいで今の国産ヒット曲が、25〜30年前の英米のポピュラー曲の和音、奏法、音作りによく似ているのは確かです。リスナーが当時の原曲を知るか否かで、感じ方も全く違ってくるでしょう。しかし音楽のパクリ糾弾には、誤解も混じっています。

――どういう誤解ですか?

以前ラジオ番組で、似ていると思える2曲のリクエストを募り放送していました。しかし「ちょっと似の曲」は、説明されて「うーん、そうかなあ」程度だし、同一曲認定の場合は、契約関係がある可能性が高いはず。キャンディーズとスティーヴィー・ワンダーとか。単なるカバーバージョンではない、メロディーだけ借りて使用許可を受けた別曲もあるわけで、悪事でないケースも多いでしょう。他人の曲を組み合わせた大滝詠一のギャグを、パクリ糾弾する者までいる始末。形態模写に笑わず怒る人は、困りもの。

――ポピュラー系では、札付きのパクリ屋もいるそうですが?

8秒のイントロはA曲を思わせるフレーズ、長い楽器ソロ中に2秒間B曲のソロを挿入、終わりの方にクラシック名曲が流れて・・・、などがよくやり玉にあがっています。メロディーが2小節一致すると盗作とみなす判例がささやかれ、そこに触れないよう、つかず離れず似せて作られた曲もあります。あの名曲かと思わせた次の瞬間、その先が違うメロディに変えてあったり、音が消えて無実にのがれるCM曲なども耳にします。

――それはそれで問題ですよね?

ところが、バクリ疑惑のミュージシャンに雑誌社がインタビューすると、「そのつもりでやっています」と答える場合が多く、割と簡単に認めています。海外の有名曲から部分拝借するコンセプトを、早くから公言しているミュージシャンもいます。

――「世界は広いから偶然似たのだ」と言って、ファンがかばったりしていますが?

本人がバクったと認めているから、ファンの助け船は無駄でした。一人の作曲が世界の有名曲に次々と似ることは、偶然には起きないことがわかります。狙ってやっているわけで。このような音楽のパクリは、盗作といえば盗作ですが、まあ比較的オープンにはなっています。

――部分的に真似た場合、美術でも盗作になるのですか?

盗作とは無断で他人の作品(著作物)に、一部または全部を似せることで、民事の不法行為にとどまらず著作権法違反という刑事犯罪(親告罪)です。バッグや腕時計のまがい物や似せ製品をつくり、ブランド名だけ変えて売る意匠権侵害に似ています。実際に盗作と呼ぶ美術は、自作として発表した場合に限られ、表に出さずお蔵入りにすれば存命中は何も起きません。

――美術作品が似ている場合に、使われる言葉が色々ありますね?

美術でよく使われる語は、影響、亜流、模倣、剽窃(ひょうせつ)、模造など。後の3つが盗作といえるでしょう。ただ、ある時代に似通った作風が群れるように現れるのは、互いに見て影響し合った結果と考えられます。極端な例は、立体派のピカソとブラック。どっちがどっちか、わからない。現代のアイデア美術同士にも、尻取りのような影響の連鎖が多く、独創といえる場合でも類似や派生は多く見られます。

――有名画家がやっていた盗作事件もありましたね?

古い科学雑誌で読んだ人もいるでしょうが、パソコンがまだない時代に、大型コンピューターを研究する技師が、モザイク画を作りました。写真から割り出した色で、マス目を埋める方法で。マス目をどこまで粗くすれば、人の目が物体認識できなくなる限界が来るかを調べる研究です。発表した絵は、アメリカ大統領リンカーンの顔でした。やがてこれをそっくり真似た大作キャンバス画が現れ、訴訟になったのです。

――裁判にかなりの時間がかかったようで、少し前の新聞にやっと判決が出ていましたが?

作品同士は酷似しており、当然エンジニアの勝訴でした。おもしろいのは、あのリンカーンのモザイク肖像画は、被告で敗訴したダリがコンピューター上で発案したかのような、誤った記述がネット上にあった点です。ファン心理でしょう。数十年もたつと事実に反する都市伝説が流布し、ダリはコンピューター・グラフィックスの発明者に祭り上げられているかも知れません。とすると、私はダリの後輩ということになったりして。当然、ダリはそれを発明していません。

――盗作は、なぜ起きるのですか?

自分の能力を超えた作品を作れる利点に違いありません。低迷中の試行錯誤や、路線変更の際に多く起きます。わざとの場合もあれば、無意識の場合もあるでしょう。特にわざとの場合、無名の有能者から盗むケースが多く、これは世界中で製品開発、著書、ファッション、宝飾、ギャグから学術論文にまでみられる裏構造です。そしてほぼ全ての盗作は、自分が特別気に入った作品に似せています。気に入らない作品に似せるケースはまれという。

――他人の作品を気に入ると、盗作が生まれやすいわけですね?

同業者をアイドルにして熱愛すると、盗作をやってしまう恐れがぐんと高まります。中には一人でゴッホ風、ダリ風、ミロ風など、全く異なる作風をかじって回る画家もいますが、その人は美術愛好家タイプなのでしょう。

――よく、芸術は模倣から始まると言いますが?

盗作の弁護には使えません。なぜなら模倣から「始まる」と言うのだから、許されるのは駆け出し時の習作までの話で、代表作や応募作、晩年の遺作が模倣では苦しくなります。この言い方は、原理に逃げ込んだ居直りの自己弁護に受け取られるから、本当の芸術家は絶対に口にしません。

――盗作の議論には、極論でぶちこわす人が出てきますね?

論争はいつも平行線です。「オリジナルに届かない者が他人の成果に手をつけた」という批判論と、「全ての作品は何かを模倣しているのでオリジナルは世にない」という極端な擁護論の2つに煎じ詰められます。「早く、遠く、前人の前例から離れろ」が聞こえてこない点に、またしても人類の宿命が暗示されています。

――影響を受けた程度のレベルなら、もっと多いと思いますが?

多いどころか、人間は体験した全ての事物から影響を受けて行動します。全ての見聞きしたものは、多少でも何かのかたちで制作に反映します。ただし、似るとは限りません。他人の絵がどれもこれも気に入らず、世の中にロクな絵がないと白けている人なら、どこにも吸い寄せられずに、自動的に独自の絵になります。ほれ込みが盗作に結びつくのです。

――他人の作品を、より良いものへ向上させたら、許されますか?

どちらが上出来か、有名か、高額かに関係なく、似せた後発が盗作です。ところで、美術でインスピレーションを同業から得るのが常道になった一因は、教育課程にもあるでしょう。模写から出発して模倣に切磋琢磨すれば、いつかは自分の色がにじみ出るだろうというアプローチで、創造実現を楽観視する人が大勢います。象徴的なのが、他人の画集を片手に、自分の絵をかく作業光景です。そういう画家がものすごく多いらしく、しっかり大物になっていたりもします。

――中学の授業で、教科書の絵を写している生徒が多くいたのを思い出しますね?

その方式だと創造から遠いわけで。例えば太古の洞窟壁画は、世界ミュージアム巡りやパリ留学の成果とは違います。画集をめくって拾ったわけでもない。普通に物ごとに触れるだけで、絵はいくらでもかけるものです。むしろ実戦的に考えると、他の美術を見回って脳裏に焼き付けたら、似てしまったり寄せ集めになるのは必定なわけで。芸術創造では、たくさん見て知ることがマイナスになるのです。

――オマージュが目的なら、似てもいいのですか?

音楽のトリビュート(英:賛辞)と、オマージュ(仏:賛辞)は同義です。これは、ゆかりの曲や演奏家を使う場合が多く、普通は即カバーを意味しません。相手のオリジナル主義に対抗した、全曲オリジナルのトリビュートアルバムもあります。カバー曲があれば、著作権料を払うだけのこと。他者をたたえて光を当てるからといって、無断拝借は許されません。

――美術のオマージュは、なぜかそっくり似作品の意味に決まっていますね?

美術では、オマージュは盗作の意味で使われます。美術でも他人作のカバーは許可が必要で、手続きがないと盗作です。ところが音楽と違い、美術でそんな手続きはあまり聞きません。ダリも告訴されるまでは知らんぷりでした。なので、賛辞の意自体が本当にあったのか疑われますが、音楽より美術でこっそり盗むケースが多いのは、マーケットが局地的でバレにくい計算があるからでしょう。逃げ切って丸儲けできる期待値が、美術の方がずっと高いわけです。

――古い作品を盗作すると、どうなりますか?

「著作者人格権」は永久ですが、「著作財産権」は作者の死後一定時間で消滅します。アメリカで70年、日本で50年です。『モナリザ』の模写を3000枚以上かいて売った画家がいます。2006年現在、ダ・ヴィンチ没から487年たつので、世界で著作財産権が切れており、「模写」と断った上で許可なく販売できます。

――昔の人の作品なら、我が物にできる制度も不思議ですね?

永続するルールがあります。著作者人格権によって、ダ・ヴィンチ作である事実は、仮にダ・ヴィンチが遺言で譲渡を指示しても、曲げられない法律があります。別の人が創作したことには、絶対にできません。またダ・ヴィンチの不名誉になる使い方は制限されます。パロディは、よほど下劣でない限り問題なしでしょうが。

――著作物として守られるには、多少なりとも独創性が必要だそうですが?

だから、立方体や球体のオブジェに著作権はありません。幾何学形は普遍的な意匠なので、独創性が認められないからです。サイコロ形やボール形の彫刻は創造ではないので、さらに誰かがそれを彫刻や絵にそっくり再現しても、侵害になりません。

――よく聞く疑問ですが、有名人の顔を勝手に絵にして売ると、何が問題ですか?

著作権の侵害や、肖像権の侵害ではなく、パブリシティー権の侵害です。有名人の顔を絵画作品にすればよく売れるわけで、法律で守られた商品価値を盗んでいます。

――Tシャツやイラストグッズなんかで、たまにその侵害を見かけますね?

意外に係争も起きているようです。拾い写真からの間接的な模写だったり、デフォルメしたり自分の筆調子に変えてもだめ。また売っても売らなくても、どちらでも侵害です。ネットの読者が警察に通報するのを防ぐ目的で、販売業者が自演した擁護意見や虚偽の法律解釈、自称正論がばらまかれている(ステルス・マーケティング)ので、シロと信じて乗らない注意が必要です。

――盗作しないように、画家は何に注意すればいいのですか?

盗作は飲酒運転に似て、確たる悪意はないが自制もない、ルーズな心構えで多発します。自分で防ぐのは簡単で、絵が似ればかき変え、完成後に似ていればお蔵入りか塗りつぶしで済みます。ところが自分の手を通して理想に届いたことで、妙な自信や愛着がわく場合があります。自分より上だから模したわけで、上の利益も欲しくなってコンテストに応募し、そして発覚するわけです。

――盗作に賞を与える審査員も、問題ですね?

「見分けられないなら、審査員になるな」という批判は酷です。何しろ人類は美術が不得意で、世界中で皆の関心も後回し。幅広く詳しい人がいません。「美術ヲタク」や「歩く美術事典」では食えないから、映画やアニメのような物知りがいません。なのに国内画家の人数をみても、名簿は電話帳のような厚さだからチェックに手が回らないし。

――業界の連携プレーで、インチキを撲滅できませんか?

具象と抽象の断絶、近代風と現代風の断絶で、人の交流も情報網も切れています。人は美術への好き嫌いが激しいから、一人の守備範囲が非常に狭いし、関心のない作風には人脈もないでしょう。盗作の指摘を受けてから、情報収集や対処を検討し始める後手後手は、無理もありません。

――その審査の手薄さが、盗作をまねいていませんか?

つけ込まれやすいのは確かです。盗作で出世できた勝ち情報を耳に入れて、ローリスクで割に合うと知って、コンテストに丸写しの絵を出す画家が後を絶ちません。現に結果は、やった者勝ちになってしまっているわけで。逃げ切って名士になったケースもあり、発覚してもスポーツのドーピングのような出場停止や追放処分がないし、不名誉が表に出にくいのも美術の特徴です。盗作擁護論がネットに非常に多いのは、盗作が画業を支えている美術家の数がいかに多いか、その層の厚さを裏づけているでしょう。

――抑止力が何もない、最悪状態なのですね?

その代わり、淘汰されるあだ花の運命が約束され、刹那的で割に合わないと一部の美術家は考えます。時の審判に敗訴するなら得策でなかろうと。時間も含めて考えると、損得として期待値が低いという判断も多少ははたらきます。もうひとつの抑止力は個人のプライドでしょう。プライドを簡単に捨てたくない本物も、それなりにいると考えられます。

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