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電子美術館のQ&A

2 美術館疲れとは何?歩き回るとしんどい

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2005/12/1

――美術館を見学すると、やたらと疲れることがありますが、なぜでしょうか?

それは、以前から通称「美術館疲れ」と呼ばれていた現象です。美術館に特有の疲れ方だから、美術館疲れ。これを美術館ぐるみで解消できた例はまれです。しかし実は、美術館疲れの分析は、昔から焦点が合っていませんでした。

――美術館疲れそのものが、ウソだというのでしょうか?

現象は実際に起きて、客は本当に疲れてダメージを受けます。しかし、かつて出回った原因と解決策は、間違った解釈です。

――その従来の解釈とは、どんなものだったのですか?

犯人は美術館の建物です。四角四面でのっぺりと抑揚のない館内を、客がしばらく歩き回るうちに、建築空間の単調さが視覚的、運動的に人間に悪影響を及ぼし、心身の疲労感として現れる説です。長時間立ち歩いたので足がくたびれたという次元とは別の疲労である点では、全員の見解が一致します。建物の単調な内部構成が原因だと、長らく説明されてきました。日本の巨匠建築家もそう書いていて、美術館建築に強い第一人者の立派な専門書にもそうありました。誰も疑うことのない最終結論が、この解釈だったのです。

――その解釈をした上で、どういった解決策がとられたのですか?

美術館内に様々な変化やアクションを設けて、客の心を刺激すべし、というのが通説でした。具体的には、吹き抜け、回り階段、トップライト、天井高さの変化、雁行(ジグザグ)間取りなどがそうです。部分的に斜めや曲面をあしらったり、内装材の色や質感を細かく切り換えるなども見かけます。館内の順路を長く引き回して、客が歩いて移動する間に期待感をかき立て、心の中に物語をつくらせるなどもよく行われて、複雑な建築ほど美術館の名作として評価されました。

――なるほど言われてみれば、古い美術館には硬直的な空間が多かった気がしますね?

従来のこの説は間違っているという私の反証は、まことに簡単です。実は私は美術館疲れと同じ現象を別の建物で、児童の時に何度も体験しました。百貨店(デパート)の中を、親に連れられて歩き回る間に、ぐったりと元気がなくなり、足が動かなくなる過労を感じた覚えがあるのです。

――百貨店の建物構成は、美術館よりさらに単調なので、通説できれいに説明がつきそうですが?

ところが拷問的な疲労を何十分間も受けて、心身がやつれきって顔色も曇った後に、他の階へ連れて行かれると、元気を取り戻して、足取りが軽くなったのです。百貨店では下の階から上の階へと順に、エスカレーターで少しずつ上がっていくわけですが、疲れは上の階の方が軽減し、しまいに疲れが消えました。

――ということは、その百貨店は、下階は単調で、上階は変化に富んだ、複雑な建物だったのでしょう?

上から下まで四角四面の単調さで、何ら変化がありませんでした。かつての百貨店は、金太郎アメのように各階が同じ形で、天井高さも一定です。吹き抜け、回り階段、トップライト、雁行間取りは、1カ所もありませんでした。

――上階だけ、こったインテリアを設けていたりは、なかったのですか?

後に現れるような、店内に川や滝が流れていたり、カッコーの声が聞こえる緑の木立の広場もありません。ならば全階でまんべんなく、私はぐったりと疲れるはずなのに、階によって正反対に元気があふれ、力がみなぎったのです。これはどういうことなのか。下の階と上の階とで、何かが違っていたはずです。いったい何が違ったのでしょう。

――あっ、そうか、そこまで言われると、もう答はわかりますね?

そうです。陳列した商品に、関心があるか、ないかの違いです。歳の小さい男の子にとって、呉服、くつ、かばん、贈答品の缶詰は全く関心がないので、その階を連れ回されると、疲れがたまる一方です。その後で上階に行くと、そこにはオモチャ売り場があるから、疲れが吹き飛んだわけです。レーシングカーも飛行機も戦車もある。プラモデル、手品用品、怪しげなゲテモノセット・・・

――そういうことなら、誰でも覚えがありますね?

目に入る商品に関心があるから、水を得た魚に早変わりしたのです。女の子なら、ぬいぐるみや着せ替え人形が目に入ると、瞬時に元気を取り戻したことでしょう。

――となると、疲れ方がほどほどの、中間的な階もありそうですが?

本、文具、電気製品の売り場がそうでした。そこでは、たいくつな商品群の中に、子どもに直接関係したり、好奇心をそそられる商品も点々と発見できるからです。それは例えば、昆虫図鑑、シャープペンシル、冷水タンク付冷蔵庫などでした。結論は簡単で、美術館疲れは空間ではなく、展示物が引き起こします。単調な建築に疲れるのではなく、関心のない美術に疲れるのです。

――それなら、いくら建築に演出をこらしても結果は同じなわけですか?

美術館疲れは変わりません。建築家の守備範囲の外、美術家の守備範囲の中で起きており、建物では解決しません。その証拠に、百貨店の催し物会場や古い倉庫のような、四角四面の「単なる大部屋」で美術展示を行っても、疲れは特に増えも減りもしません。

――しかし、親に連れられた百貨店とは違い、美術館の客は自分の意志で行く大人ですが?

美術館へ向かう大人も、実は親に手を引かれて行く場合が多いのです。それはどういうことか?。どこに手を引いて、連れ回す親がいるのか?。実はその親も自分です。文化的な事物に見て触れて、教養を高めるべしと迫る内なる圧力、つまり自らの向学心がその正体です。向学心と本心がずれているから、心身に倦怠感が起きるのです。

――「行きたくないのに、行きたい」という矛盾したその行動は、いったいどういうことですか?

知らない文化にあえて触れよう、未知の世界から何かをつかみ理解したいと上を目指す気持ちは、人類発展の原動力となる心のはたらきです。しかしいざ対象を前にすると、鑑賞のハードルは存在します。取っ付きの初歩的知識や、文物を咀嚼(そしゃく)する集中力、慣れも不足していれば、心の内部分裂が起きて鑑賞疲れを引き起こすのです。

――美術以外でも、鑑賞疲れは当然ありますよね?

よくあるのは名所旧跡です。私は以前、京都の御所と離宮を4カ所まとめて回りました。皇室の施設なので、まず郵便で予約を申し込んで審査を受けます。現地の入り口には派出所があって、銃を腰につけた警官に一人一人チェックされてから、中に入ります。

――入るまでが、なかなか大変なのですね?

15人程度が一団となって宮内庁の職員に案内され、歩いて施設内を回り始めました。やがて、いっしょになった知らない中年グループは、ゴルフの話題でワイワイと持ちきりになりました。宮廷の美と情緒を語り伝えるはずの若い職員は、ゴルフ談義の大声と笑い声にさえぎられて困り顔です。

――騒いでいたそのグループに、何があったのでしょうか?

「修学院離宮疲れ」が、彼らが順路をスタートしたとたんに起きたのです。「日本人なら和の建築の神髄たる、京の名所を見るべきである」などと思い立って、手間をかけて入場にこぎつけたものの、本当は関心が小さく見学に身が入りません。つきあいで加わった者も、中にはいたでしょうし。

――少しのしんぼうなのに、もったいないと思いますが?

いったん敷地内に入ってしまえば、帰宅後に「行ってきたぞ」と胸を張る資格もでき、もう細かい話はけっこう、パンフと絵葉書で十分。実物の離宮のたいくつさに耐えかねて、好きなゴルフの話題に花が咲いたのでしょう。

――子どもの頃に映画の名作を見て全然わからずじまいなんて、誰でも覚えがありますね?

高校の芸術鑑賞授業で、落語公演を見たことがあります。ところが、せっかくの真打ちの名演なのに、落語の流れに私は慣れていなかった上に、席が後の方でよく見えず、1回も笑わず、どっと疲れただけでした。現地で出席を取りましたが、このノルマは関係なく、作品がおもしろいと感じれば元気になり、感じなければ疲れる原理はやはり同じです。

――鑑賞疲れが起きやすい分野と、起きにくい分野があるようですが?

起きやすいのは、伝統芸能やクラシックコンサート、オペラなど。起きにくいのは歌謡曲、ロックコンサート、現代劇あたりです。教養モノや古典モノが起きやすいのは、今の実生活と距離がある演目だから、同調できるだけの切実さが薄かったり、客の背伸びとの兼ね合いでしょう。オペラは、日本語で歌えば一転して人気が出た例もあります。普通に起きる美術館疲れは、どちらかといえば教養・古典系の範疇で、このあたりに美術のポジションも落ち着くのかも知れません。

――改めて、美術館疲れを撲滅する方法はありますか?

全滅させる必要はありません。関心を持てる作品に客が当たれば済む話で、逆にミスマッチは必ず起きるから、美術館疲れは誰にでも起きます。目の前の作品しだい。特に公立美術館は、NHK放送と似てマイナー作品も定評なき早いタイミングで扱うので、関心のない客の割合も多くなる道理です。完成度が高い逸品ぞろいであっても、ジャンルや趣味が合わないと美術館疲れはやっぱり起きます。

――いつ行っても疲れる美術館は、どういうわけですか?

建築関係者が気にしたのもそれです。ざっといえば、企画展示で元気になり、常設展示で疲れるのが、地方公立美術館のパターン。「特別展がない日は行くのをよそう」が、客の安全策でした。この館内展示の二極化は、企画展は学芸員の意向、常設展は地元美術団体の意向と、棲み分けた展示物に由来し、見ごたえに差が生じたのです。中には常設室を複数設けて、世界から多彩なコレクションを集めて常設し、「行っても何もない日」を返上した地方美術館もあります。

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